旧柳原銀行 
京都
  



2015年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
旧柳原銀行は明治の末に、地元の有志によって設立された銀行。しいたげられた人々の解放の拠点となった。のちに山城銀行に改称されたが、金融恐慌のあおりで閉鎖。現在は柳原銀行記念資料館として公開されている。
2016/02/09記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載

YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

高瀬川一之船入
京都
     





水彩 
2015年 
165x240mm   

朝日カルチャーセンターのYY絵はがき講座の昨年2015年7月は京都 高瀬川一之船入で。祇園祭のころ。晴天で陽射しがきつい。ここはかつての往来の要衝。京都洛中から伏見港へ。そこから三十石に乗換え大坂まで下る。このあたりは材木や薪、炭など木を扱う商家が集まっていたので木屋町の名がついたとか。角倉了以、桂小五郎、大村益次郎、坂本龍馬、森鴎外・・・、歴史が積もる地である。
2016/05/24記

文子天満宮 
京都
   




2015年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
菅原道真と父母、そして乳母の多治比文子(たじひのあやこ)を祀る。北野天満宮の前身といわれ、全国の天神信仰のはじめとされる。ふだん着の生活が営まれている町のなかに、ぽつねんとある。
2016/02/11記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載

Nishi-Ishigaki-Tori,
Kyoto
 








京都 西石垣通り
2015年  
水彩  

1月の「大人の遠足-街旅絵日記講座」は京都の四条河原町から木屋町、高瀬川沿いの町並みを歩いて描いた。人出も多い繁華街でのスケッチ。参加者の方たちにはまず、四条木屋町下ルの高瀬川界隈の風景を選んで描いてもらう。それぞれの途中経過を見せてもらいながら、合い間に、正月明けの西石垣通りへ。ピンサロの前からちもとと東華菜館が見える通りを描いてみた。客引きのお兄さんが珍しそうにこっちを見てる。    

安田泰幸アート&スケッチ

はんなり京都                                                       10        


京都大学YMCA会館
地塩寮 
     



2015年  
水彩 
170x250mm
昨年2015年9月のカルチャーハウス香里ヶ丘のYYスケッチ講座土曜クラスは、
京都の吉田牛之宮町にある京都大学YMCA会館「地塩寮」を描く。1913年にW.M.ヴォーリズ設計で建てられたもの。もともとヴォーリズは、キリスト教伝道のために日本にやってきたわけだから、彼のキリスト教関係の建築作品は全国にたくさん残っているが、これもその一つ。武骨で厳格なフォルムだが、柔和な印象もうける。登録有形文化財。同じ敷地に同じ意匠を基本にした京都府立医科大学YMCA橘井寮やYMCA関西駐在主事宅もある。講評会は登録有形文化財の日仏会館のカフェで。
2016/08/13記


Tearoom "Tsukiji", Kyoto





喫茶「築地」 京都

水彩  
2014年  
120x165 mm 
関西経済連合会発行「経済人」昨年12月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、京都四条河原町界隈のスケッチで構成した。
喫茶「築地」は、繁華な河原町通りから路地を入ったすぐのところにある。昭和9年の創業。ホイップクリームが珍しかったころからの名物「ウィンナー珈琲」を注文し、赤い布張りのヴィクトリア風の椅子に座って、クラシック音楽を聴きながら本を読む。学生の頃、昭和のちょっとリッチなインテリにあこがれた。
2015/08/22記
■関西経済連合会発行「経済人」2014年12月号に掲載

善法律寺・秋 
京都 八幡
     



2015年 
水彩 
170x250mm
昨年2015年11月のカルチャーハウス香里ヶ丘YYスケッチ講座月曜クラスは八幡市の紅葉の名所、善法律寺に出かけた。快晴であったが、11月の半ばでまだ早かったのか、もみじの色づきはまだこれからといったところ。山門の前の1本がかろうじて赤みを帯びてきているのを、みんなで描いた。見頃になれば、紅葉のスポットとして知られているだけに人出も多いだろうが、この日は、詣でる人影も少なく、ゆっくり描けた。
2016/11/01記




Fuguhire, Nishi-Ishigaki-Tori , Kyoto










ふぐひれ干し 
京都 西石垣通り
     
2015年
水彩   

1月の「大人の遠足-街旅絵日記講座」は京都の四条河原町から木屋町、高瀬川沿いの町並みを歩いて描いた。まだ開けていない料理屋の軒先にざるに貼りつけたふぐのひれを干している。造形としても面白い。


Somedono-in, Kyoto







染殿院 京都  

水彩  
2014年  
120x165 mm
 
関西経済連合会発行「経済人」昨年12月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、京都四条河原町界隈のスケッチで構成した。
染殿院は、清和天皇(家康をはじめ武士がルーツにしたがるあの清和天皇)の母、染殿皇后が安産を祈ったといわれる地蔵尊を本尊としている。新京極の繁華街にあるが、堂へつながる道は二つ。一つはお店の中を通り抜けて。もう一つは人一人通れるぐらいの路地。こんなところがあるなんて今まで知らなかった。
2015/08/18記
■関西経済連合会発行「経済人」2014年12月号に掲載

水彩画スケッチ紀行
はんなり京都

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聴竹居 新緑
京都大山崎
  



2008年 
水彩 
120x165o
パナソニックの2015年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-道をひらく」の7月は、「熱意だけは誰にも負けない」という言葉。この言葉に、日本建築に環境工学を採り入れた先駆的な建築家藤井厚二が京都大山崎に、自らのために建てた実験住宅・聴竹居のスケッチを合わせた。
いつも情熱をもっていたいもの。そのためには信念を持たなくてはならない、そして信念をもつためには、広い知識と深い経験と豊かな想像力が必要だ。
■パナソニック2016卓上カレンダー
 「松下幸之助の言葉-道をひらく」
 7月に掲載
■聴竹居弁当包み紙

京都岡崎 
疏水の桜
        







2015年  
水彩  
165x240o
昨年2015年4月のカルチャーハウス香里ヶ丘のYYスケッチ講座は桜の風景を描こうと京都岡崎の疏水端へ行った。予定を組んでから後悔したのだが、4月初め、この時期の京都は人であふれかえる。案の定、神戸からの電車も立ちっぱなし。雨の多かった今年の花の季節、雨にも降られず、満開の桜が描けたのでまあいい。
2016/02/16記

渉成園回棹廊 
京都
        





2011年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
渉成園は枳穀邸とも呼ばれ、東本願寺の飛地境内地とされる.。園内の小さな渓流に架かる風雅な橋。
2016/02/07記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載

渉成園傍花閣 
京都
        


2011年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は
京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
渉成園は枳穀邸とも呼ばれ、東本願寺の飛地境内地とされる。門首の隠退所や賓客の接遇所として使用されてきて、現在は一般にも公開されており、志納金を納めて入園する。傍花閣は石川丈山によって作庭された池泉回遊式の庭園に散在する殿舎の一つ。渉成園がつくられた江戸時代以降、多くの貴人や文人も訪れ遊んだという。園内で絵具を使ってのスケッチはできないが、鉛筆でのスケッチは許していただいた。
2016/02/06記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載
東本願寺 御影堂門
京都
        





2006年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。東本願寺は正式には真宗本廟というそうだ。真宗大谷派の本山。御影堂門は京都三大門の一つ。
2016/02/03記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2015年4月号表紙に掲載




kyoto-shiden,
City Tram of Kyoto






旧京都市電
1600形電車
 

2014年  水彩  120x165mm
昨年2014年12月の街旅絵日記講座は京都の梅小路公園に出かけた。明治の頃、日本で最初に市電が走った京都の古い車両が保存されているのと、梅小路蒸気機関車館と保存されている機関車など、ふだんはあまりスケッチすることのないモチーフを描くことにする。
スケッチは園内に展示保存してあった京都市電1600形電車。戦前に製造され、ワンマンカーに改造されて、1960年代後半から1976年まで市内を走っていたそうだ。
2015/10/14記

Comb of "nijusanya", Kyoto







「二十三や」の唐櫛
京都  
         

水彩  
2003年  
165x120 mm 
関西経済連合会発行「経済人」12月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、京都四条河原町界隈。
四条通りには河原町通りをはさんで2軒の老舗のつげ櫛屋がある、一つが「十三や」で、もう一つが「二十三や」。十三やはくし→九+四が店の名の由来とか。「二十三や」はというと、昔は梳き櫛といえば唐櫛だったそうで、とうくし→十+九+四の合計。「二十三や」は、約二百年前の文政年間の創業という。
2015/08/29記

■関西経済連合会発行「経済人」2014年12月号に掲載

Restaurant "Tokasaikan",
Kyoto






東華菜館 京都

水彩  
2014年  
165x120 mm 
関西経済連合会発行「経済人」12月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、京都四条河原町界隈。
異彩を放つ洋館のレストラン、「北京料理・東華菜館」。もとは大正末期にヴォーリズの設計で建てられた西洋料理の「矢尾政レストラン」だった。入口の食材の彫刻など過多ともいえる装飾。鴨川・四条大橋のたもとで異彩を放つ。
国の登録有形文化財
2015/08/24記
■関西経済連合会発行「経済人」2014年12月号に掲載



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