玄宮園 
彦根
   



2007年  
水彩  
120x165mm

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2016年4月号の表紙「スケッチ紀行−歴史を歩く」は彦根を歩いたスケッチ。彦根城の天守閣を見上げるように広がる池のある庭は、彦根城の大名庭園。後でしったが、近江八景を模してつくられたという。御殿のある楽々園と隣接し、玄宮楽々園と呼ばれている。
2017/01/16記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2016年4月号表紙に掲載

YASUDA YASUYUKI

彦根城天守閣



1998年  
水彩  
120x165mm

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2016年4月号の表紙「スケッチ紀行−歴史を歩く」は彦根を歩いたスケッチ。金亀城ともいう。彦根藩井伊家の居城。天守は現存12天守の一つで国宝。
2017/01/14記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2016年4月号表紙に掲載

比叡山延暦寺
東塔の大講堂 
滋賀

     
水彩 
2015年 
120x165mm   
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」7月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は比叡山。
延暦寺は平安時代初めに僧・最澄によって開かれた天台宗の総本山。山内は東塔、西塔、横川の三塔と呼ばれる広大な地域に広がる。世界遺産。東塔地域にある重要文化財の大講堂には、道元、栄西、日蓮、法然、親鸞、…など延暦寺で修行した高僧の像が並んでいる。曹洞宗、臨済宗、法華宗、浄土宗、浄土真宗…、その後に興された仏教の新しい宗派はほとんどここから生まれているともいえる。知らなかった。
2016/06/06記
■関西経済連合会発行「経済人」2015年7月号表紙に掲載

水彩画スケッチ紀行


安田泰幸アート&スケッチ

近畿のスケッチ旅                                                        09

水彩スケッチ 「尾鷲 金剛寺の山門」 2009年 (120x165mm)

比叡山延暦寺 
東塔の大講堂 
滋賀
     




水彩 
2015年 
120x165mm   
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」7月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は比叡山。
延暦寺山内の東塔地域から起伏の多い山道を進むこと約30分。西塔と呼ばれる地域に至る。道の両側に全く同じ形の堂が並んでいる。普賢菩薩を本尊とする法華堂と、阿弥陀如来を本尊とする常行堂。16世紀末の建築で重要文化財。弁慶が渡り廊下に肩を入れ、担いだと伝わり、「にない堂」と呼ばれている。比叡山の豪放磊落さを物語る話だ。
2016/06/06記
■関西経済連合会発行「経済人」2015年7月号表紙に掲載
比叡山延暦寺
根本中堂 
滋賀
     



水彩 
2015年 
120x165mm   
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」7月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は比叡山。延暦寺は平安時代初めに僧・最澄によって開かれた天台宗の総本山。山内は東塔、西塔、横川の三塔と呼ばれる広大な地域に広がる。世界遺産。中心は延暦寺発祥の地にたつ本堂、根本中堂。最澄自作と伝わる薬師如来像を安置する。ふつう寺院の内陣(本尊を安置する所)は外陣より高くなっているが、この堂の内陣は外陣より3mも低い。初めて見るととても神秘的に見える。本尊の前のつり灯籠の灯は、最澄の時代から消えることなく、1200年以上も続いているといわれる「不滅の灯」として知られる。本堂に至る回廊は、新緑の木々が清々しく気持ちよい空間だった。
2016/06/04記
■関西経済連合会発行「経済人」2015年7月号表紙に掲載


信楽 
旧明山窯の登り窯
        





2015年  
水彩  
120x165mm    
関西経済連合会発行広報誌「経済人」5月号の表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は信楽。信楽焼は日本六古窯のひとつで、室町時代の頃から茶の湯の隆盛とともに、温もりのある火色や自然釉の味わいが茶人に珍重されてきたという。山の傾斜を利用した大掛かりな登り窯があちこちに残る。窯は9室、11室のところが多い、割れない奇数にしたとか。2016/02/24記
■関西経済連合会発行「経済人」
  2015年5月号表紙に掲載
彦根 京橋の町並




1998年  
水彩  
120x165o
昨年2015年4月の「大人の遠足-街旅絵日記講座」は春うららかな彦根のお城周辺の町並みを歩いて描いた。午前中は曇っていて少し寒かったが、彦根城内の玄宮園や埋木舎のあるあたりの堀端でめいめい気に入った風景を分かれて描いた。昼に集合して、あらかじめ予約しておいたポム・ダム―ルというカフェでランチ。桜のシーズンの土曜日ということでどこも混んでいて、予約を受け付けてくれたお店に感謝。午後はヴォーリズの名建築を描き、その後は自由行動で城下町の雰囲気を描いた。盛りだくさんな一日。上のスケッチは以前のもの。
2016/02/20記

得生寺 
和歌山県有田市
       


2015年 
水彩 
120x165o 

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2015年3月号の表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、和歌山県の有田市を歩いたスケッチで構成した。
天平時代、聖武天皇の朝臣右大臣藤原豊成の娘、中将姫は美貌と才能の名声を継母にねたまれ、この地糸我の雲雀山に捨てられたが、姫の徳にうたれた従臣伊藤春時は、剃髪して得生と名を改め姫をかくまい養育し、姫は浄土経一千巻を写した。その草庵が寺の始まりとか。この伝説は、能、歌舞伎、浄瑠璃でも演じられる。中将姫の練供養は当麻寺が有名だが、この寺の来迎会式(二十五菩薩練供養会)は小さな子どもが晴れ着を着、菩薩の面をかぶって境内を歩く姿が可愛らしく、無形文化財にもなっている。
2016/01/13記
■関西経済連合会広報誌「経済人」 2015年3月号表紙に掲載


雪の高野山壇上伽藍根本大塔  

水彩 
165x120mm
パナソニックの2016年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-素直」の12月は、「対立を恐れず、調和をみださず」という言葉。言うべきは言い、受け入れるべきは素直な心で受け入れる。お互いそうした努力から社会全体の望ましい発展がもたらされる。ということなのだが、この言葉にあてはめるスケッチに困った。考えあぐねた末、一時は伝教大師最澄と対立したが、ともにその後の日本人の精神風土に大きな根をおろした弘法大師空海が開いた高野山の根本大塔のスケッチを充てた。
2017/06/02記
■パナソニック2016年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-希望」12月に掲載

埋木舎 
彦根
         



2000年  
水彩  
110x165mm

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2016年4月号の表紙「スケッチ紀行−歴史を歩く」は彦根を歩いたスケッチ。彦根城の堀端にある屋敷は、幕末、江戸幕府の大老を務めた井伊直弼が彦根藩主になる前、不遇の時代を過ごした屋敷として知られる。
2017/01/15記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2016年4月号表紙に掲載

琵琶湖畔 
浜大津 
  



2015年
水彩
街旅絵日記講座、2015年8月は滋賀県大津の琵琶湖畔へ。カンカン照りの暑い日。午後1時に集合して、大津港に戻ってきて停泊している外輪観光船ミシガンを描く。多くの方は、近くの待ち合い所のカフェから窓越しに描いておられた。この暑さではいたしかたない。2つ目のポイントは少し移動して、湖畔から。2席の船が並んでいる。ちなみに、手前が「うみのこ」で向うが「ビアンカ」。暑さでうだって、集中できず、絵も雑になってしまった。
2016/08/06記

比叡山坂本ケーブル
2号車
滋賀
     






水彩 
2015年 
120x165mm   
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」7月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は比叡山。
1927年に開業。延長約2Km。高低差484m。日本最長のケーブルカー。「ケーブル坂本駅」と「ケーブル延暦寺駅」の駅舎は国の登録有形文化財。車両は「福」号と「縁」号。
2016/06/08記
■関西経済連合会発行「経済人」2015年7月号表紙に掲載
比叡山坂本ケーブル
坂本駅 
滋賀
     

水彩 
2015年 
120x165mm   
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」7月号表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は比叡山。
1927年に開業。延長約2Km。高低差484m。日本最長のケーブルカー。「ケーブル坂本駅」と「ケーブル延暦寺駅」の駅舎は国の登録有形文化財。車両は「福」号と「縁」号。
この日、あちこち欲張りに歩き廻って、下山する便は最終になった。私の他に乗客は婦人が一人。初対面だが、山上の東塔と西塔の間で出会ってあいさつしたので、互いに憶えていて、話しかけてこられた。なんでも沖縄から、同志社で学ぶ息子さんを訪ねて来られていたそうで、帰る前に来てみたかった比叡山を訪ねられたそうだ。
2016/06/09記
■関西経済連合会発行「経済人」2015年7月号表紙に掲載

丸又窯 信楽        




2015年  
水彩  
120x165mm    
関西経済連合会発行広報誌「経済人」5月号の表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は信楽。
事情で表紙には掲載しなかったが、信楽には古い登り窯が残されている。その一つがこの丸又窯で、江戸時代につくられたものだそうだ。経産省の近代化産業遺産に選定されている文化財だが、雨ざらしで、今は使われていないらしく、外側は枯れ草でびっしり覆われていた。
2016/03/08記
■関西経済連合会発行「経済人」
  2015年5月号表紙に掲載


朝宮の茶畑 信楽 





2015年  
水彩  
120x165mm    
関西経済連合会発行広報誌「経済人」5月号の表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は信楽。
1200年前、僧最澄が中国から持ち帰った茶の種を植えたのがはじまりだとされる、日本最古の茶の産地。
2016/03/05記

■関西経済連合会発行「経済人」
  2015年5月号表紙に掲載


紫香楽宮址




2015年  
水彩  
120x165mm    
関西経済連合会発行広報誌「経済人」5月号の表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は信楽。
天平時代、藤原広嗣の乱ののち、これを恐れた聖武天皇は恭仁京に遷り、その頃の離宮を造営して都とした。災いを避けるためにたびたび遷都したが、そのうちの一つ。近年発掘された宮町遺跡は山に囲まれ、今は整然とした田地になっている。黄瀬・牧地区には林の中に甲賀寺跡の礎石が残っているというが、日が暮れて行けなかった。
2016/03/04記
■関西経済連合会発行「経済人」
  2015年5月号表紙に掲載


信楽 
窯場坂の家並み





2015年  
水彩  
120x165mm    
関西経済連合会発行広報誌「経済人」5月号の表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は信楽。
山裾に沿って続く窯元散策路は窯場坂などと名づけられ、登り窯や趣のある陶房が並び、売られている作品もいいお値段。信楽焼といえば、われわれの世代は汽車茶瓶でなじんでいる。なんでも日本で最初に売られた汽車土瓶が信楽産とか。 
2016/02/29記

■関西経済連合会発行「経済人」
  2015年5月号表紙に掲載



熊野古道 
和歌山県有田市
  



2015年 
水彩 
120x165o 

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2015年3月号の表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、和歌山県の有田市を歩いたスケッチで構成した。
東西に流れる有田川を渡って南北に熊野古道が通る。大阪、八軒家浜から熊野本宮まで九十九王子と呼ばれる沿道の神を祀る祠の内、有田市内に43番から45番と数えられている、
蕪坂王子、山口王子、糸我王子と、三つの王子がある。後鳥羽上皇が昼食をとったという糸我峠のふもとの道は、みかん畑を縫うように続き、道の端の木陰に糸我王子の小さな祠があった。
2016/01/15記
■関西経済連合会広報誌「経済人」 2015年3月号表紙に掲載

簑島港 
和歌山県有田市
  



2015年 
水彩 
120x165o 

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2015年3月号の表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、和歌山県の有田市を歩いたスケッチで構成した。
有田川の河口に広がる大きな漁港。タチウオの漁獲量は日本一。昼間、港にたくさんのうたせ船が並ぶようすは壮観。ちなみに箕島という地名は有田市の中心市街地で、JRの駅名は箕島。
2016/01/11記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年3月号表紙に掲載

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