YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

安田泰幸アート&スケッチ

近畿のスケッチ旅                                02 

尾鷲 須賀利
家並みの向うに海

続いて尾鷲市須賀利の集落でのスケッチ。海からいきなり山が立ちあがるような地形のため、集落はわずかな海岸線の平地と山のすその斜面にすがりついています。集落の家々の間には細い路地と石段がはりめぐらされていて迷路のよう。この高低差が立体感をつくり格好の絵のモチーフとなります。須賀利へ立ち寄ったのは1日だけでしたが、美しい風景をいっぱい描けそうで、立ち去りがたい思いでした。
                                           
熊野古道
羽後峠へ続く道
尾鷲


伊勢神宮から、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山へ通じる伊勢路は約160km。尾鷲市内にもところどころではありますが、何カ所か残っています。羽後峠には、立派な「猪垣」も残っています。














関西経済連合会刊「経済人」
2010年8月号表紙に掲載
志摩大王崎
燈台の見える丘から
波切漁港


三重県の志摩半島の突端、大王崎の波切という町は、海や岩場、港や灯台、そして、坂道と傾斜に重なるように建つ民家…と、絵のモチーフにはこと欠きません。昔から多くの絵描きや写真家が訪れる場所として有名でした。2年前のちょうど今ごろ、スケッチをされるみなさんと、スケッチ旅行にでかけました。高校の美術部で、2回ほど来たことがありましたが、あれから40年、私にとってはなつかしい旅となりました。しかし、私の思い出の中の町とは、すっかり変わっていました。最初に描いた波切の漁港も、当時と較べると、整備されてきれいになっています。絵を描くために訪れた者にとっては昔の使い古された味のある町並みが残っていればと思うのですが、地元の人々の生活を考えれば、勝手な思いですよね。
「経済人」2009年8月号

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近畿のスケッチ旅
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伊根     水彩スケッチ   
冬の伊根の舟屋を描いたものです。海の色は強さを出すため、黒い鉛色にしました。形は鉛筆ではなく、チャコール鉛筆を使いました。2010/12/8記
■2010年12月8日から開かれる「第2回水の会展」(阪神梅田本店)に展示
                                          
慈眼堂 大津坂本          ポストカード水彩スケッチ 2011年 120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」5月号は滋賀県大津市の坂本の街を歩きました。滋賀院の勅使門を描いた後、滋賀院境内奥にある慈眼堂へまわりました。滋賀院を開基した「黒衣の宰相」天海は慈眼大師と呼ばれ、織田信長に焼き討ちされた比叡山延暦寺を再興したことでも知られますが、その慈眼大師の廟所です。ひっそりとした境内に形のよい石燈籠が並び、緊張感のある風景。テレビの時代劇の撮影によく使われるそうです。 2011/5/22記     
■関西経済連合会「経済人」5月号表紙に掲載
滋賀院門跡勅使門 大津坂本          ポストカード水彩スケッチ 2011年 120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」5月号は滋賀県大津市の坂本の街を歩きました。穴太衆積みの石垣が独特の美しい街並みをつくる坂本は世界遺産の比叡山のふもとにあり、延暦寺の僧が晩年を過ごす里坊が集まる、落ち着いた街です。滋賀院は比叡山延暦寺の本坊。徳川家康・秀忠・家光に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた僧天海の開基になります。江戸時代末までは、天台座主を務めた皇族の住居でした。庭園は小堀遠州の作と伝わり国の名勝になっています。穴太衆積みの石垣が美しいことでも知られ、このスケッチの1週間後、「街・旅・絵日記講座」でみなさんと坂本を散歩し、ここも一緒に描きました。 2011/5/20記     
■関西経済連合会「経済人」5月号表紙に掲載
和歌山電鉄貴志川線 たま電車       ポストカード水彩スケッチ 2011年 120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」3月号-スケッチ紀行・歴史を歩く-の和歌山県紀の川市のスケッチの5枚目は
和歌山電鉄の人気車両「たま電車」です。2006年に貴志川線が南海電鉄から和歌山電鉄に経営譲渡された際に南海電鉄から受け継いだ車両を改造した2270系電車です。昨日掲載したスケッチ、貴志駅のたま駅長をモチーフにした車両で、JR九州の車両デザインで知られる水戸岡鋭治というインダストリアルデザイナーのデザインになるものです。ほかにいちご電車やおもちゃ電車などがあり、話題になって、地方交通の活性化に寄与しています。2011/4/8記                        
■関西経済連合会刊「経済人」2011年3月号に掲載

                                                                  
和歌山電鉄貴志川線貴志駅 紀の川市                ポストカード水彩スケッチ 2011年 105x1484cm  
関西経済連合会発行の「経済人」3月号-スケッチ紀行・歴史を歩く-の和歌山県紀の川市のスケッチの4枚目は
和歌山電鉄の貴志駅です。三毛猫のたまが駅長をしているということで、全国的に知られるようになった駅です。たまは和歌山電鉄の執行役員だそうですが、高齢のため駅に姿を見せる時間がかぎられているとか、スケッチに行った日はいませんでした。駅舎は最近建て替えられましたが、大人しいデザインで、キャラクターキャラクターしていなくていい感じです。。2011/4/7記 
■関西経済連合会刊「経済人」2011年3月号に掲載

  
華岡青洲春林軒主屋 紀の川市             ポストカード水彩スケッチ 2011年 119x164cm
関西経済連合会発行の「経済人」3月号-スケッチ紀行・歴史を歩く-の和歌山県紀の川市のスケッチの3枚目は旧那賀町にある華岡青洲の家です。
住居として、近郷近在の里人の治療にあたる診療所として、また全国から集まった医術を修めようという人たちの学校としても使われた建物です。青洲はここで20年の歳月をかけ、マンダラゲ(朝鮮朝顔)の実などから麻酔薬「通仙散」をつくりました。実母や妻加恵で人体実験を行い、そのため加恵は失明するのですが、1804年世界最初の麻酔手術を成功させました。描いていて胸にせまるものがあります。2011/4/5記
                        
■関西経済連合会刊「経済人」2011年3月号に掲載

                                  

                                                                  
粉河寺 紀の川市             ポストカード水彩スケッチ 2011年 119x165cm
関西経済連合会発行の「経済人」3月号の-スケッチ紀行・歴史を歩く-の和歌山県紀の川市のスケッチの一つ粉河寺です。
創建は770年。西国三十三か所第三番札所として親しまれています。重要文化財に指定されている本堂は三十三か所中最大。本堂前の大きな石で組まれた庭もダイナミックで国の名勝です。参道から山門をくぐり道沿いに伽藍が続き、空が開けた南国の寺らしい大らかな雰囲気の境内で、のんびりスケッチできました。 2011/4/3記         
■関西経済連合会刊「経済人」2011年3月号に掲載

                                  

                                                                  
名手宿本陣妹背家住宅 紀の川市        ポストカード水彩スケッチ 2002年 136x179mm 
関西経済連合会発行の「経済人」3月号のスケッチ紀行・歴史を歩くは、和歌山県紀の川市です。2005年に打田町、粉河町、那賀町、桃山町、貴志川町が合併した町です。合理化のためには仕方ないのでしょうが、古い町や村の名が無くなってしまうのは土地の文化が無くなるようで感心しませんが、ここは地区名として残っているので、よしとしましょう。絵は江戸時代初期に建てられた名手市場村の妹背家の住宅で、紀州藩主が参勤交代や鷹狩りの際、宿泊した本陣です。高野槙の木に囲まれた家は簡素ですが、風格のあるたたずまいです。国の重要文化財。
■関西経済連合会発行「経済人」2011年3月号に掲載
                                                                  

ポストカード水彩スケッチ 「須賀利 家並みの向うに海が見える 尾鷲」 2009年 (165x120mm)

尾鷲 須賀利
港へ続く路地


先日掲載した尾鷲市須賀利の集落でのスケッチ。集落の端、山の斜面にある普済寺の石段をおりると、数軒の民家の間の細い路地を通って港に出ます。強い陽射しが海をエメラルド色に染め、暑いけれどスカッとさせてくれる風景です。
                                           

ポストカード水彩スケッチ 「熊野古道 羽後峠へ続く道 尾鷲」 2009年 (120x165mm)

水彩スケッチ 「尾鷲 三木里広小路」 2009年 (120x165mm)

尾鷲
三木里広小路


伊勢から熊野に向かう昔の熊野街道は尾鷲市の市街を越えると、三木里のあたりで、海岸にでます。集落の中心を昔の街道が通っており、街道に面した古い家はかつての名残りをとどめています。












関西経済連合会刊「経済人」
2010年8月号表紙に掲載

水彩スケッチ 「尾鷲 金剛寺の山門」 2009年 (120x165mm)

尾鷲
金剛寺山門


三重県の尾鷲市の北浦という町に大きな楠があります。尾鷲神社の神木で幹のまわりは10mくらいありそうです。神社と並ぶようにして曹洞宗の寺がありました。山門の両脇には、立派な金剛力士像が、にらんでいます。描いているうちに、夕暮れがせまり、境内は静寂に包まれていました。2010/8/17記







関西経済連合会刊「経済人」
2010年8月号表紙に掲載

水彩スケッチ 「須賀利の家並み 尾鷲」 2009年 (157x203mm)

須賀利の家並み 尾鷲
関西経済連合会発行の「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行歴史を歩く¥は、三重県の尾鷲市を描きました。尾鷲市の飛び地、須賀利は、以前にもご紹介したように、かつての「陸の孤島」。古いいいたたずまいの家並みが残されています。戸口を出れば、すぐ向いや隣の家の戸口。人と人とが肩寄せて暮らしている様子が、町並みに温もりを添えています。ここは朝日新聞社と財団法人森林文化協会が選定した「にほんの里100選」に選ばれています。 2010/8/15記
■関西経済連合会刊「経済人」 2010年8月号表紙に掲載

水彩スケッチ 「尾鷲港」 2009年 (157x203mm)

尾鷲港

関西経済連合会発行の「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行歴史を歩く¥は、三重県の尾鷲市を描きました。尾鷲は日本で最も年間降水量が多い町のひとつです。また、昔から熊野水軍などでも知られ、尾鷲港はリアス式海岸による天然の良港として、漁業や水運で栄えました。スケッチに訪れた日は、たくさんの漁船が岸壁につながれ、のどかな漁港の風景がひろがっていました。2010/8/13記










関西経済連合会刊
「経済人」2010年8月号表紙に掲載

ポストカード水彩スケッチ 「志摩大王崎波切 宝門の浜と燈台」 2008年  120x165mm

志摩大王崎波切
宝門の浜と灯台


昨日に続き、三重県志摩半島大王崎波切のスケッチを。このスケッチ旅行は1泊2日で行ったのですが、宿泊は龍王閣というところで、この絵は2日目の朝、起きて間なしに部屋の窓から描いたものです。右手の海は太平洋。大王崎の沖が熊野灘と遠州灘の境とされています。岬の突端の小高い所には九鬼水軍の根城、波切城があったところです。手前の道から、両側に土産や海産物を並べた店が並ぶジグザグの坂と階段をのぼっていくと大王崎灯台に行きつきます。日よけで覆ったこの狭い坂道は、40年前とあまり変わっていないような、なつかしく、なんとなくうれしい気持ちがして2往復しました。  



関西経済連合会刊
「経済人」2009年8月号表紙掲載

水彩スケッチ 「志摩大王崎 燈台の見える丘から波切漁港」 2008年  157x202mm

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 月ヶ瀬 桃香野
ポストカード水彩スケッチ  1999年 128x172mm  
年末からずっと冬らしい寒い日が続いています。まだ春は遠いのでしょうか。奈良県と京都府の境にある月ヶ瀬は五月川の渓谷の両側に茶畑や梅林が広がる山里です。梅林は、13世紀の初め、この地の真福寺に天神社を建てるとき、菅原道真が好きな梅の木を植えたのがはじまりといわれています。南北朝時代、後醍醐天皇が笠置に落ちのびた際、おつきの女官によって、紅染めに使う烏梅(うばい)の製法が伝わり、烏梅の産地となりました。月ヶ瀬梅渓は大正時代、国が指定した日本最初の名勝の一つです。2月の中旬になれば梅まつりが始まります。 2011/1/14記
■近畿地区信用金庫協会発行 「いこい」 2010年冬号表紙に掲載
                                                                  

ポストカード水彩スケッチ 「須賀利 港へ続く路地 尾鷲」 2009年 (165x120mm)