YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

安田泰幸アート&スケッチ

近畿のスケッチ旅                                  06 

塩津の集落 下津     2013年   水彩ミニアチュール  165 X 240 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の下津の町を歩いたスケッチ。塩津浦は江戸時代から、漁業と紀伊水道を往来する廻船の寄港地として栄えた、急傾斜に石垣を築き、細い路地や石段でつなぐ古い家並みが残っている。国道から集落に入っていく道端から、港と家並みが見える。石段の上の寺らしき建物や岸壁につながれた白い漁船…箱庭のような風景。ひとつひとつに人々の暮らしと物語があるのだろう。描くのは楽しいが、時間がかかる。  2013/09/06記
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載      
三井寺 園城寺大門 大津     水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。4枚目のスケッチは、三井寺。京阪の浜大津駅から、石山坂本線で西へ1つ目の駅が「三井寺」。天台寺門宗の総本山園城寺がある。日本三不動の一つ黄不動(ちなみに他の二つは京都青蓮院の青不動、高野山金剛峯寺の赤不動)が有名。また近江八景のうち「三井の晩鐘」で知られる名刹である。寺内には国宝・重要文化財の建築物、仏像・絵画などおびただしい数の文化財を擁している。絵の大門も仁王門とも呼ばれ、重要文化財になっている。  2013/07/12記
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載                 


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福勝寺 本堂と求聞持堂 下津     2013年   水彩ミニアチュール  165 X 240 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の下津の町を歩いたスケッチ。福勝寺は熊野古道橘本王子のある山あいの石段を登ったところに伽藍がある。弘法大師の開基といわれ、本堂と求聞持堂は国の重要文化財。静かな境内の本堂の脇から水音が聞こえる。木立ちの中に大きな岩山が見え、幅20、30mにわたり滝がある。水量は多くないが岩のくぼみから落水の裏側を眺めることができるので、「裏見の滝」と名づけられている。  2013/09/09記  
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載    


熊野古道の家並み 一坪 下津     2013年   水彩ミニアチュール  120 X 165 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の下津の町を歩いたスケッチ。下津は熊野古道紀伊路の道筋にあたる。一壺王子(山路王子神社)のある下津、市坪の集落は坂道に家並みが続く、立派な家が多く、かつては賑わった町であったとおもうが、いまは人影もない。熊野に向かう途は、ここを越えると峻嶮な山道に入る。  2013/09/04記
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載                 

熊野古道 一壺王子 下津     2013年   水彩ミニアチュール  165 X 120 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の下津の町を歩いたスケッチ。下津は熊野古道紀伊路の道筋にあたる。12世紀から13世紀にかけて皇族など貴人の熊野詣が盛んになると、紀伊路・中辺路の沿道にいくつもの王子ができた。大阪・八軒家の船着場(現在の天満橋付近)から、那智勝浦まで九十九王子と呼ばれ、熊野権現の御子神を祀った王子社が建てられ、貴人が参詣途中の経供養などを行い、宿泊や休息をとったという。下津にもいくつか残っており山路王子神社は一壺王子だった。着飾った王朝貴族の行列がこの境内で休息をとっていたと想像すると、神秘的な気分になる。ちなみにこの神社では、秋祭りに子どもの健康を願って「泣き相撲」が行われているそうだ。  2013/09/02記
Yamaji Oji Jinja−Ichitubo Oji of Kumano Kodo
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載

大崎の港 下津     2013年   水彩ミニアチュール  120 X 165 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の下津の町を歩いたスケッチ。下津は近年、合併し海南市の一部となった。高度成長時代につくられた石油化学コンビナートで知られ、下津港も、大型のタンカーが出入りするが、かつては紀伊国屋文左衛門のみかん船でも知られる天然の良港で、大崎の港もその入江の一つ。  2013/08/31記
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載  
長保寺多宝塔 下津     2013年   水彩ミニアチュール  120 X 165 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」は第198回。和歌山の海南市下津の町を歩いたスケッチ。港、紀州徳川家歴代の墓所がある古刹、熊野古道など、東京中心のマスコミにはめったに採りあげられないから、一般に知られていないが、見応えのある歴史の町散策だった。長保寺は、長保2年西暦1000年一条天皇の勅願により創建された古刹。紀州藩主徳川家の歴代の墓所がある。大門、本堂、多宝塔が国宝。門・本堂・塔の三つそろって国宝なのは法隆寺とこの寺だけなのだとか。その他にも多くの文化財がある。多宝塔は南北朝時代に建てられたもので、小ぶりではあるが姿が美しい。  2013/08/29記
Chohoji Tahoto, Shimotsu,Wakayama pr.。 
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」8月号表紙「スケッチ紀行・歴史を歩く」に掲載 

日本キリスト教団大津教会 大津     水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。最後6枚目は、日本基督教団大津教会。昭和の初めヴォーリズ事務所の設計で建てられた。スパニッシュスタイルのモダンなシルエットの教会。 2013/07/20記    
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載
            

琵琶湖疏水第1疏水制水門 大津     水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。三井寺の境内に接して、緑に覆われた谷にトンネルの入口がある。京都へ琵琶湖の水を送るために、明治時代、工部大学校を出たばかりの田辺朔郎の設計でつくられた琵琶湖疏水の水路トンネルの入口である。水路に沿って、琵琶湖に向かって数百mすすむと、第1疏水の大津制水門があった。完成後百年たった今も、豊かな水を送り続けている。重機のなかった時代にこの壮大な土木事業を成し遂げ、京都を近代の都市として、再興させた若者の心を想いながら描く。  2013/07/16記
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載 
 


琵琶湖汽船ミシガン 浜大津で     水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。3枚目のスケッチは、琵琶湖を周航する観光船。明治の中頃に北陸と鉄道がつながった長浜と大津の間で日本初の鉄道連絡船が運航されるようになり、当時就航した「太湖丸」は日本最初の鋼鉄船であった。戦後間もなく「玻璃丸」という船で「たそがれショーボート」運行された。絵の遊覧船は1980年代に建造されたものだが、デザインと名前は、かつてのショーボートに由来しているものらしい。  2013/07/10記
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載
鮒寿し「阪本屋」 大津旧東海道札の辻      水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。大津は江戸時代から町割が100町あったことから、大津百町(ひゃくちょう)と呼ばれてきたそうだ。町の中には、姿のよい古い民家が、今も住まいや店として大切に使われているのをよく見かける。浜大津近辺だけで10数軒の国の有形文化財に登録された民家があり、スケッチのいとまがない。絵はそのうちの1軒、明治の初め、膳所藩の御用料亭からのれん分けし、鮒寿しの老舗として知られている阪本屋。2階外壁の黒タイルが目を引く。 2013/07/09記              
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載                       

旧大津公会堂         水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。京阪大津線の終点浜大津駅からそう遠くないところに、スクラッチタイル張りの近代建築がある。昭和の初めに市民の交流の場として建てられたもので、現在はホールやレストランとして整備再利用されている。正面玄関や丸窓など個性的な意匠で町のあくせんとになっている。国の登録有形文化財。  2013/07/08記
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載


佐藤春夫旧邸 和歌山新宮     水彩スケッチミニアチュール   2012年   165 x 240 o 
近畿信用金庫協会の広報誌「いこい」春号に掲載された佐藤春夫の旧邸。近畿地方のレトロな建築のある風景をテーマに1年半ツぢけているが、最後は和歌山県。この建物は東京から故郷の新宮に移されたもので現在は佐藤春夫記念館になっている。隣の那智勝浦には「秋刀魚の歌」の碑がある。門人には太宰治や壇一雄、井伏鱒二、吉行淳之介、遠藤周作など昭和に活躍した多くの作家がいたという。谷崎潤一郎との細君譲渡事件は有名。 2013/04/01記             
■近畿信用金庫協会発行広報誌「いこい」春号表紙に掲載
月ヶ瀬梅渓谷 桃香野      2008年      アクリル+コラージュ    380x560o
ここのところ真冬の寒さの日が続いているが、春はもうすぐ。奈良の山里、月ヶ瀬村の梅渓の梅も咲きそろった頃か。平安時代、この近くの真福寺に天神社を建て、菅原道真を祀る際、道真が好きだった梅を植えたのがはじまりという。日本で最初に国の名勝になった梅の里である。南北朝時代、後醍醐天皇が笠置に落ちのびたとき、ついてきた女官によって里に伝えられた紅染めに使われる烏梅や、茶のの産地としても知られる。 2013/02/23記    
■日立造船2009年カレンダー「自然と暮らす」1-2月に掲載

美山知井 茅葺の家並み    水彩スケッチ  2012年  120x165mm      
街旅絵日記講座の6月は美山の茅葺の里へ1泊スケッチ旅行。
1日目の茅葺の里のスケッチは、夕方早目の4時すぎに終えて、車で迎えにきてもらって、宿舎の河鹿荘へ。部屋割をし、鍵を渡し、風呂と食事の場所を確認して一旦解散。おのおの部屋で荷物をほどいたり、着替えたり。同部屋の方と風呂へ。露天風呂もあり、美山特産のバラの花を浮かべたバラ湯があった。ほのかにバラの香りが・・・。  2012/11/01記
                                             
大阪寝屋川郡元町 湯屋が谷井戸の坂道        水彩   2013年   240x320mm
カルチャーハウス香里ヶ丘のYYスケッチ講座月曜クラスの10月の講座は、京阪電鉄香里園駅近くの郡元町の家並みを描く。ゆるく湾曲した小さな坂道の途中に湯屋が谷の弘法井戸と呼ばれる共同井戸と祠がある。人々の暮らしに関わる事業をなして、多くの人の信仰を集めた弘法大師の井戸は各地に見られるが、寝屋川市だけでも4つもある。そのうちの一つだが、唯一いまも清水が湧出し、地元の人に利用され、親しまれている。坂の下から見上げてもよいのだが、花と一緒に描きたいという方につき合って、坂の上から描いてみた。  2013/12/12記       
宇治川 台風一過         2013年    水彩    235 x 315 o
朝日カルチャーセンター YY街旅スケッチ講座の9月は宇治へ出かけた。現在平等院の鳳凰堂は修復工事中なのは解っているが、宇治川べりの船茶屋の軒並みは描けるだろうと計画したもの。2,3日前に台風の余波の豪雨で嵐山の桂川があふれ大騒ぎになったニュースがあったが、当日は雲ひとつない晴天。意気揚々と出かけたところが、宇治橋について川を眺めると勢いよく流れる荒々しい水。ただでさえ急流で知られる宇治川の流れが速い。しばらく水の流れを見ていると、船酔いのようなめまいさえ催しそう。上流のダムが大雨でたまった水を放流しているらしい。中之島も一部浸水して、船茶屋の風情もない。そこで、予定変更して、この川を描いてもらうことにした。白いしぶきをあげて、激しく流れる川と対照的にゆったりと重なる対岸の家並み。めったに見ることのできない景色だった。  2013/10/16記

ダイセル異人館       水彩ミニアチュール    2013年     120 X 165 o
関西経済連合会発行の機関誌「経済人」2013年5月号の「スケッチ紀行・歴史を歩く」は姫路の網干を歩いたスケッチで構成した。網干は「あぼし」と読む。かつては漁村だったようだ。明治に現在のダイセルの前身日本セルロイド人造絹糸が工場を構えた。イギリスやドイツから招いた外国人技師ののために、1910年に建てられた住宅が2棟残っている。ダイセル異人館として、会社の資料が展示され、工場の休業の日以外はいつでも自由に見学させてもらえる。  2013/05/15記
■関西経済連合会発行の機関誌「経済人」2013年5月号表紙に掲載