YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

安田泰幸アート&スケッチ

近畿のスケッチ旅                                 04 

池庄漆器店 海南黒江   水彩スケッチ 2012年 ポストカードサイズ120X165 mm
関西経済連合会発行「経済人」6月号の表紙、「スケッチ紀行・歴史を歩く‐184回」は、和歌山県海南市の黒江の町を歩いた。黒江は石川の輪島、福島の会津とともに漆器の一大産地である.。表通りから1本裏の路地に、古い民家が残っている。ここは漆器の問屋を営む家。さほど大きくはないがしっかりとした構えの家で、国の有形文化財に登録されている。濃茶色の格子と黒漆喰の壁に赤い君子蘭が印象的。 2012/8/28記                       
■関西経済連合会発行「経済人」2012年6月号表紙に掲載                                          

一柳記念館 近江八幡   水彩スケッチ 2011年 ポストカードサイズ120X165 mm
パナソニックの2012年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-勇気」の6月は近江八幡市に残るW.M.ヴォーリズの住宅であった一柳記念館をとりあげた。一柳はヴォーリズが日本に帰化した姓。夫人の姓である。ヴォーリズは英語教師として来日し、近江兄弟社を設立してぬり薬を普及させ、1500にもおよぶ建築の設計をし、キリスト教の伝道や賛美歌の作曲をてがけるなど、戦前・戦中・戦後を通じて日本に大きな足跡を残した人である。「青春とは心の若さである」という幸之助の言葉に、信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日々新たな活動を続けたヴォーリズを想起した。 2012/8/22記
■パナソニック2012年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-勇気」に掲載                                          

勝竜寺城公園 長岡京市          水彩スケッチ  2011年  ポストカードサイズ120x165mm 
勝竜寺城は現在の京都府長岡京市にあった。安土桃山時代に細川頼春が築いたとされる。近年本丸跡が公園として整備された。明智光秀の娘・玉、のちのガラシャ夫人が細川忠興に嫁いだ城として知られる。関西経済連合会発行の「経済人」12月号・スケッチ紀行歴史を歩くは、長岡京を歩いた。カトリックに帰依する際、話した修道士の残したことばによると、ガラシャ夫人は、明晰かつ果敢な判断ができる稀有の日本女性だったという。関ヶ原の戦いで、西軍の石田光成の軍勢に屋敷を取り囲まれたとき、家老に部屋の外から槍で胸を突かせ、人質となることを拒んだという。辞世の歌「散りぬべきとき知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」に思いを馳せながら快晴の城址を描く。 2011/12/12記                       
■関西経済連合会刊{経済人」2011年12月号表紙に掲載

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漆器をつくるための道具   水彩スケッチ 2012年 ポストカードサイズ120X165 mm
関西経済連合会発行「経済人」6月号の表紙、「スケッチ紀行・歴史を歩く‐184回」は、和歌山県海南市の黒江の町を歩いた。黒江は石川の輪島、福島の会津とともに漆器の一大産地である.。伝統漆器の技術の保護、育成のために設けられた施設「黒江うるわし館」へ行った。中はほとんど商品の陳列。新しい需要を掘り起こそうと、アイデアを活かした新製品など。当然販売している。片隅の陳列ケースに漆器職人が使う道具類が収められていた。係の人に断ってスケッチさせてもらう。ケースから出しましょうかと親切にいってもらったが、おおげさになるので、丁重に辞退した。刷毛やへらなど、ほとんど職人の手製のようだ。 2012/8/27記                      
■関西経済連合会発行「経済人」2012年6月号表紙に掲載                                          

紀州漆器   水彩スケッチ 2012年 ポストカードサイズ120X165 mm
関西経済連合会発行「経済人」6月号の表紙、「スケッチ紀行・歴史を歩く‐184回」は、和歌山県海南市の黒江の町を歩いた。黒江は石川の輪島、福島の会津とともに漆器の一大産地である.。根来寺の僧徒らが、自ら使うために作り始めた漆器根来塗りの技術が、豊臣秀吉の根来攻めで、職人たちが黒江に移り住み、技法が伝わったという。 2012/8/26記                                  
■関西経済連合会発行「経済人」2012年6月号表紙に掲載                                          

海南市黒江 鋸歯状の家並み   水彩スケッチ 2012年 ポストカードサイズ120X165 mm
関西経済連合会発行「経済人」6月号の表紙、「スケッチ紀行・歴史を歩く‐184回」は、和歌山県海南市の黒江の町を歩いた。黒江は石川の輪島、福島の会津とともに漆器の一大産地である。表通りから一本裏の通りに入ると、漆器職人の家や、できあがった製品をさばく漆器問屋の古い家が建ち並び、いい町の表情をつくっている。特徴的なのは、家の建て方。普通は道に面しに敷地に、道に平行にきっちり家を建てるが、ここではわざと30度ほどずらして建てる。したがって家の前に三角形のスペースができる。このような家が並ぶと、道に対して鋸の歯のかたちの家並みができる。家相の関係、荷車を止めるなど便利だから、近くの城に攻め入る敵に対して伏兵をかくすため…など、諸説あるらしいが、よくわからないらしい。ずっとここで暮らしてきて、長い歴史の中で何度も家を建て替えただろうに、土地の人にもよくわからないというのが、南国らしくてほほえましい。 2012/8/23記
■関西経済連合会発行「経済人」2012年6月号表紙に掲載                                          

竹皮弁当    2012年 水彩スケッチ ポストカードサイズ100x147 mm
4月のカルチャーハウススケッチ教室月曜クラスは、教室からすぐのさくら公園で。お花見を兼ねてということで、昼1時間早く集まって、カルチャーハウスのスタッフが頼んでくれた、近頃ちょっと評判になっている「竹皮弁当」をみなさんと広げる。ずっしりと重い竹の皮の包みを広げると、みなさんから喚声が・・・。小芋・南瓜・筍・茄子・牛蒡・おくら・菜の花・枝豆・椎茸・大根・白花豆・金時豆・小魚の釘煮・天ぷら・ゆで卵、おにぎりはごまと海苔の2個、それに小さな竹の皮にくるまれたデザートのわらびもちと予想以上に楽しいお弁当だった。スケッチの現場まで出前してもらって、500円。つつましく、なごやかな、名残りの花見ができた。 2012/7/14記               

枚方香里ヶ丘さくら公園    2012年 水彩スケッチ サイズ165x240 mm
4月のカルチャーハウススケッチ教室月曜クラスは、教室からすぐのさくら公園で。お花見を兼ねてということで、昼1時間早く集まって、カルチャーハウスのスタッフが頼んでくれた、近頃ちょっと評判になっている「竹皮弁当」をみなさんと広げる。竹の皮の包みを広げると、みなさんから喚声が・・・。予想以上に楽しいお弁当だった。さて、桜だが、今年は春がおそく、花が咲いたと思ったら、急に気温があがって、ここはもう散り初めの名残りの桜。月曜日の午後とあって、住宅地の中にある公園は人も少なく静か。描いている間にもひらひら花びらが舞う。今年の桜も見納め、描き納めかなと思いつつ描いた。 2012/7/12記               
                                                         

又兵衛桜 宇陀       水彩  2012年 165 X 240 mm
パナソニック電工の2012年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉」の4月は、奈良県宇陀市にある「又兵衛桜」を掲載。「本郷の瀧桜」とも呼ばれ、樹齢300年ともいわれる。テレビ番組のタイトルバックとして使われるなど、大きく美しい名桜として名高い。戦国時代に豊臣秀頼に仕え、大阪冬の陣、夏の陣で孤軍奮闘の活躍をした後藤基次(又兵衛)の邸跡にあったためこの名がついたという。訪ねたときは満開で、ボリューム感に圧倒された。  2012/4/8記

パナソニック電工2012年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉」4月に掲載
大阪城梅林          水彩 2011年  165 x 240o
日立造船の2012年カレンダーは、「つどいの風景」をテーマに、世界各地(6か所)で描いた、ひとびとが集いふれあうまちの風景を、掲載していただいている。1-2月は大阪城の梅林に観梅に訪れた人々の風景。昨年2月、朝日カルチャーセンターの街旅スケッチ講座で訪ねたときに描いたもの。この日はおだやかな小春日和で、人出も多かった。今日はこの冬一番の寒波の真っただ中、北のほうでは暴風雪の被害も出ていると聞く。神戸でも気温3度。風も強い。梅の花がほころぶようになるまで、もうしばらくかかりそう。  2012/2/2記      
■日立造船株式会社2012年カレンダー「つどいの風景」1-2月に掲載
 
篠山 大正ロマン館 旧篠山町役場           2010年  120x165mm
大人の遠足-街・旅・絵日記講座の10月のプログラムは篠山小旅行-秋の城下町を描こう-。通常、この講座は半日のプログラムであるが、今回は朝から夕方まで。朝8時06分新大阪発の特急「こうのとり」で篠山口へ。昨日までの天気予報では雨であったが、車窓には明るい陽射しが・・・。ここのところ雨に降られることが続いていたので、内心ほっと胸をなでおろす。バスで町内に着いた後、まずは参加者全員で、篠山城址のそばにある大正ロマン館をスケッチ。大正12年に篠山町役場として建てられた建物。屋根や玄関のつくりが複雑で、みなさん描きにくそう。1時間ほど描いていると雲行きがあやしくなってきた。 2011/12/25記                      

                    
竹の子もなか 長岡京市喜久春製          2004年  ポストカードサイズ100x148mm 
関西経済連合会発行の「経済人」12月号-スケッチ紀行歴史を歩く-は、長岡京をとりあげた。6枚目のスケッチは長岡京市の特産、筍を使った和菓子。ゆず餡や小倉餡に刻んだ筍を入れた最中。小ぶりの最中を口に入れると柔らかい餡としゃきっとした筍の食感がおもしろい。竹の皮でこしらえた箱が凝っている。 2011/12/19記
■関西経済連合会発行「経済人」2011年12月号表紙に掲載
        
                    
乙訓寺 長岡京市          2011年  ポストカードサイズ120x165mm 
関西経済連合会発行の「経済人」12月号-スケッチ紀行歴史を歩く-は、長岡京を歩いた。5枚目のスケッチは夕闇せまる乙訓寺。聖徳太子の建立と伝わる古い寺である。長岡京は平安京に移るまでの10年間都がおかれたところだが、長岡京遷都の際、桓武天皇によって寺は増築され、一時は空海が別当を努めるなど、大規模な伽藍をもつ寺であったという。現在は牡丹の名所として知られている。あちこちを巡り歩いて、この寺にたどり着いたのは夕方。いちおう輪郭を描き終えたころ夕闇に包まれた。境内の小道を住民が利用するらしく、学校帰りの高校生や帰宅を急ぐ仕事帰りの人が通る。とっぷりと暮れた道を駅へ向かう。この日長岡京を歩いた距離約11km。 2011/12/18記
■関西経済連合会発行「経済人」2011年12月号表紙に掲載。        
                    
旧石田家住宅主屋 長岡京市          2011年  ポストカードサイズ120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」12月号-スケッチ紀行歴史を歩く-は、長岡京を歩いた。3枚目のスケッチは江戸時代末期に建てられた町家。京都の東寺口を出て、西へ向かう西国街道の神足(こうたり)の町に残る。もとは神足村の「紙屋清兵衛」という屋号の和紙を商う家だったらしい。明治以降は町医者の家に使われ、のちに石田家が購入したと説明パンフレットにある。現在は長岡京市が所有し「神足ふれあい町家」として、市民に利用されている。国の登録有形文化財。 2011/12/15記
■関西経済連合会発行「経済人」2011年12月号表紙に掲載
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長岡天満宮 長岡京市          水彩スケッチ  2011年  ポストカードサイズ120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」12月号・スケッチ紀行歴史を歩くは、長岡京を歩いた。平安時代、菅原道真が太宰府に赴く際、名残りを惜しんだこの地に、道真自作の木像を祀ったのがはじまりとか。境内は広大で、正面の大きな鳥居をくぐると社までの参道の両側に大きな池がある。八条ガ池といい、八橋状に回遊できる水上橋が設けられている。高さが2,5mもあるキリシマツツジの名所として知られている。 2011/12/13記                        
■関西経済連合会刊{経済人」2011年12月号表紙に掲載 
粟生光明寺御影堂 長岡京市          2011年  ポストカードサイズ120x165mm
関西経済連合会発行の「経済人」12月号-スケッチ紀行歴史を歩く-は、長岡京を歩いた。4枚目のスケッチは西山浄土宗の総本山、光明寺。須磨一の谷(現在の神戸市須磨区)の合戦で、平家の公達平敦盛の首を取った熊谷直実が法然に帰依し、出家後法力房蓮生と名を変え、ここに念仏三昧堂を建てたのがはじまり。法然の遺骨も納められている。今年は法然が亡くなって800年にあたり、知恩院をはじめ、各地の寺で記念の法要が催されているが、スケッチに行った日も、九州など遠くからバスを連ね、信者の方たちが参拝されていた。壮大な御影堂に色づき始めた木々が美しい。 2011/12/16記
 
■関西経済連合会発行「経済人」2011年12月号表紙に掲載。