YASUDA YASUYUKI

東本願寺 御影堂門
京都
        





2006年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。東本願寺は正式には真宗本廟というそうだ。真宗大谷派の本山。御影堂門は京都三大門の一つ。
2016/02/03記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2015年4月号表紙に掲載

得生寺 
和歌山県有田市
       


2015年 
水彩 
120x165o 

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2015年3月号の表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、和歌山県の有田市を歩いたスケッチで構成した。
天平時代、聖武天皇の朝臣右大臣藤原豊成の娘、中将姫は美貌と才能の名声を継母にねたまれ、この地糸我の雲雀山に捨てられたが、姫の徳にうたれた従臣伊藤春時は、剃髪して得生と名を改め姫をかくまい養育し、姫は浄土経一千巻を写した。その草庵が寺の始まりとか。この伝説は、能、歌舞伎、浄瑠璃でも演じられる。中将姫の練供養は当麻寺が有名だが、この寺の来迎会式(二十五菩薩練供養会)は小さな子どもが晴れ着を着、菩薩の面をかぶって境内を歩く姿が可愛らしく、無形文化財にもなっている。
2016/01/13記
■関西経済連合会広報誌「経済人」 2015年3月号表紙に掲載





本福寺 
大津堅田



水彩    
2014年  
120x165mm  


関西経済連合会発行広報誌「経済人」6月号の表紙「スケッチ紀行-歴史を歩く」は大津の堅田。
本福寺は室町時代、浄土真宗の蓮如がこの地で布教を行なったといわれるところ。江戸時代のこの寺の住職、千那は芭蕉の高弟。芭蕉もこの寺で多くの句を詠んだ。
2014/12/20記

■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年6月号表紙に掲載




                070 
満月寺浮御堂 
大津堅田 
 


水彩 
2002年  
135x180mm 


関西経済連合会発行広報誌「経済人」6月号の表紙スケッチ紀行は大津の堅田。満月寺境内から琵琶湖につきでた浮御堂は、恵心僧都が湖上に堂を建て、千体の阿弥陀仏を納めて、湖を往く船の安全と、衆生救済を祈ったという旧蹟。近江八景「堅田の落雁」で有名なところだが、桂米朝も落語「近江八景」の枕で言っていたが、そんな情緒は今なくなりつつある。
2014/12/16記

■関西経済連合会発行
 「経済人」6月号表紙に掲載





                069 

水彩画スケッチ紀行

Ninnaji-Temple Niomon,
kyoto pr 






仁和寺二王門 
京都

2013年  
水彩  
165x240mm
昨年9月のカルチャーハウス香里ヶ丘YYスケッチ講座土曜クラスは、京都御室の世界遺産仁和寺へ。昼、京都に着いた時は、陽射しがまぶしいくらいだったが、バスに乗って仁和寺に向かう途中で雨が降り出した。仁和寺の境内は大きく、国宝金堂や重文五重塔など、一級の文化財が多数あるが、江戸時代初めに建てられた重文二王門もその一つ。圧倒的な量感を表現したくて、画面いっぱいに描いてみることにした。雨足は弱くなったがやむことはなく、門前の民家の廂を借りて、巨大な門を見上げながら描いた。
2015/05/23記
                  

朽木 
秀隣寺庭園 
興聖寺 



水彩   
120x165o
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2014年7月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、鯖街道の宿場町朽木。
曹洞宗の興聖寺にある国の名勝。室町時代の末期、難を逃れて旧秀隣寺に滞在した12代将軍足利義晴をなぐさめるために造られたという。
2015/01/10記
■関西経済連合会刊「経済人」
 2014年7月号表紙に掲載



                072 

朽木 
邇々杵神社多宝塔 



2014年  
水彩   
165x120o
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2014年7月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は、鯖街道の宿場町朽木。
ににぎじんじゃと読む。平安時代から続く古社で、神仏習合の時代に天台宗の神宮寺があったといい、今も多宝塔が残っている。均整のとれたシルエットが静寂の緑に美しく映る。
2015/01/07記

■関西経済連合会刊「経済人」
 2014年7月号表紙に掲載
 





             071 

安田泰幸アート&スケッチ

古寺巡礼                                              05    

渉成園回棹廊 
京都
        





2011年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
渉成園は枳穀邸とも呼ばれ、東本願寺の飛地境内地とされる.。園内の小さな渓流に架かる風雅な橋。
2016/02/07記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載
渉成園傍花閣 
京都
        


2011年  
水彩  
120x165o
関西経済連合会発行「経済人」2015年4月号表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は
京都・河原町七条など東本願寺周辺をスケッチで構成した。
渉成園は枳穀邸とも呼ばれ、東本願寺の飛地境内地とされる。門首の隠退所や賓客の接遇所として使用されてきて、現在は一般にも公開されており、志納金を納めて入園する。傍花閣は石川丈山によって作庭された池泉回遊式の庭園に散在する殿舎の一つ。渉成園がつくられた江戸時代以降、多くの貴人や文人も訪れ遊んだという。園内で絵具を使ってのスケッチはできないが、鉛筆でのスケッチは許していただいた。
2016/02/06記
■関西経済連合会発行広報誌
 「経済人」2015年4月号表紙に掲載
榮山寺八角円堂
奈良 五條
   






2014年 
水彩 
120x165o 

関西経済連合会発行の広報誌「経済人」2015年2月号は奈良の五條市のスケッチ。
榮山寺は奈良時代8世紀に藤原武智麻呂が創建したという古刹。寺は門らしき門もなく、拝観料を払うため無人の小屋の呼び鈴を鳴らす。おおらかな山寺の風情に気分も晴れる。国宝の八角円堂は均整のとれた美しいフォルム。凛とした冷気につつまれ、時折鳥の鳴き声が聞こえるだけの静けさの中でのスケッチ。
2015/12/14記
■関西経済連合会広報誌「経済新」2015年2月号表紙に掲載


Sakakibara Tadatugu Bosho Grave,
Zuiganji Temple, Himeji 
  





榊原忠次墓所 
増位山随願寺 姫路

2014年  
水彩  
20x165mm
関西経済連合会発行広報誌「経済人」11月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は姫路の北部。増位山随願寺境内にある、姫路藩15万石の藩主であった榊原忠次の墓所。忠次は江戸幕府の老職にもついた賢君といわれ、和歌もよくした。その業績など一代記が書かれた長文の碑が有名。重文のきらびやかな唐門が印象的。

2015/06/14記
■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年11月号表紙に掲載

Masuisan Zuiganji Temple, Himeji 




増位山随願寺経堂 姫路


2014年  
水彩  
120x165mm
関西経済連合会発行広報誌「経済人」11月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は姫路の北部。標高はそんなに高くないが、けっこう鬱蒼とした山の中にある。境内は広いが寺域を示すような塀などはない。平安時代には三十を越える坊があったという大寺。戦国時代に別所長治に攻められ全山が焼失、羽柴秀吉が再興したという。現在残る本堂、開山堂、経堂、鐘楼は形が整いしっかりした印象。江戸時代に建てられたもので、国の重要文化財。こんな美しく立派なものが山の中にひっそり隠れ、現代人が目もくれないのはもったいない。

2015/06/09記
■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年11月号表紙に掲載

Daikodo,Zikido,Jogyodo,
Shoshazan-Engyoji Temple, Himeji 
       

書寫山圓教寺 
常行堂、食堂、
大講堂, 
姫路
2014年  
水彩  
120x165mm
関西経済連合会発行広報誌「経済人」11月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は姫路の北部。書寫山圓教寺の摩尼殿をみて奥に進むと、本堂にあたる大講堂と、食堂、常行堂の3棟の壮大な建物に囲まれた空間に出る。スケッチブックの画面やカメラのフレームに入りきらないほど目の前に迫る堂の量感は圧巻で、トム・クルーズの「ラストサムライ」や大河ドラマの「官兵衛」など大作映画のロケに使われたのもうなずける。三之堂ともよばれ、3棟とも貴重な歴史的建造物で重要文化財に指定されている。
2015/06/01記
■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年11月号表紙に掲載

Maniden, Shoshazan-Engyoji Temple, Himeji 


書寫山圓教寺
摩尼殿 姫路

2014年  
水彩  
165x240mm
関西経済連合会発行広報誌「経済人」11月号の「スケッチ紀行-歴史を歩く」は姫路の北部。書寫山圓教寺は比叡山、大山とならぶ天台宗の三大道場で、創建は平安時代、性空上人。古くから皇族も参詣した巨刹。西国三十三ヶ所霊場の中で最大で最も西に位置する。そんなに高くはないが険しい山の上にあり、山上からは播磨平野・姫路市内が一望できる。別所と毛利の軍にはさまれた豊臣秀吉が黒田官兵衛の進言により陣を構え、窮地を脱したところでもある。ケーブルカーを降り、登り坂の参道を進み、仁王門をくぐる。なおも東谷と呼ばれる山道を進むと、中谷の壮大な摩尼殿に出る。摩尼殿は崖に柱を組んで建てられた縣崖造りで、見るものを圧倒する。旧堂が大正時代に焼失した後、昭和の初めに武田五一の設計で再建された。国登録有形文化財。
2015/05/29記
■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年11月号表紙に掲載


本隆寺塀 
京都西陣 
          
2004年   
ポストカード水彩スケッチ    
120x165mm


関西経済連合会発行の広報誌「経済人」5月号表紙、「スケッチ紀行ー歴史を歩く」は京都西陣のスケッチ。
本隆寺は室町時代に日真上人が開いた法華宗の寺。雨宝院とは狭い路地をはさんで背中合わせ。瓦を塗り込めた、造形的にも美しい築地塀は、大徳寺などほかにもあるが、モダンな感覚についつい見惚れてしまう。この寺の塀は特に本隆寺塀と呼ばれている。  
2014/11/12記

■関西経済連合会発行「経済人」
 2014年5月号表紙に掲載
       


            068 
西陣聖天宮 
雨宝院 
観音堂 
          

2004年   
ポストカード水彩スケッチ    120x165mm


関西経済連合会発行の広報誌「経済人」5月号表紙、「スケッチ紀行ー歴史を歩く」は京都西陣のスケッチ。
雨宝院は高野山真言宗の寺。本堂に歓喜天像を安置し、西陣の聖天さんと親しまれている。狭い境内いっぱいに八重の観音桜が咲き誇り、夕刻、花影からお堂の灯火がぼんやり見え隠れするようすは、なんとも艶めかしい。  
2014/11/11記

■関西経済連合会発行「経済人」2014年5月号表紙に掲載

  
             067 
興福寺五重塔

         
2013年     
水彩    
317x237mm               


つい先日のことのように思うのだが、もう半年以上も前になる。昨年10月のカルチャーハウス香里ヶ丘のYYスケッチ教室の土曜クラスは奈良興福寺の五重塔を描いた。上層になるほど逓減する、屋根の幅や軒の高さなど、デッサンの実習にはうってつけの風景だ。講評会は抹茶カフェ万年堂で。







                 066 

水彩画スケッチ紀行
古寺巡礼

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