YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

安田泰幸アート&スケッチ

奈良大和散策                                      03  

御所まち 中井家住宅     水彩スケッチ  2012年  
2012年10月の街旅絵日記講座は奈良県御所市へ行った。御所まちは葛城川をはさみ、西側が虫籠窓に面格子の商家がならぶ商業の町、東側が円照寺の寺内町と2つの側面をもった古い町。中井家は江戸時代、庄屋を務めた旧家の商家。築200年を超える主屋は国の登録有形文化財。この家に伝わる江戸時代の町割図そのままの家並みが今も残る。描いていると、ご当主が御所まちのイラストマップをもってきてくださった。 2013/03/22記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2013年3月号表紙に掲載

三室山 春の宵 奈良斑鳩    201年 水彩スケッチ ポストカードサイズ120x165 mm
4月の街・旅・絵日記講座は、奈良斑鳩の里、三室山の桜を描く。昼から初めて、午後4時すぎまで。天気がよく、気温も高かったので、少し疲れた。片づけているとき、受講されていたどなたが言った。「来たときからくらべると、ずいぶん花が開いたみたい」。確かに、昼ここに着いた頃は5分咲きから7分咲きかなと思われたが、帰りに山を振り返ると満開に近い。暖かい春の陽射しに一斉に花が開いたような・・・。講評会は王寺駅前のカフェ・ド・シュヴァルで。上の絵は、昨年訪れたときのもの。暮れなずむ山の桜が薄暮にほのかに浮かぶさまが幻想的だった。  2012/7/4記                 

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奈良大和散策

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大和民俗公園 旧臼井家住宅   水彩ミニアチュール   2013年      120 x 170 o
5月25日の土曜日、街旅絵日記講座で、大和郡山にある大和民俗公園にでかけた。矢田寺近く、矢田丘陵の東麓に奈良県立民俗博物館があり、博物館の周辺に立派な公園が整備されている。そして公園には民俗博物館の展示物として、江戸時代の奈良大和地方の民家15棟が移築復元されている。こんな立派な施設が奈良にあるのを今まで知らなかったが、講座を受講していただいている方のおひとりが、よく絵を描きに来られるということで、教えていただき、今回の講座を計画した。広い園内に「町屋」「国中(奈良盆地)」「宇陀・東山」「吉野」のそれぞれ特徴のある民家がならび、スケッチにはうってつけの場所である。今回は2か所描くことにし、最初みなさんに描いてもらったのが、奈良の町家・旧臼井家住宅。庄屋をつとめたという大きな家で、壁に露出した柱が美しい。重要文化財になっていた。スケッチの右肩に貼ってあるのは、毎回講評会の折、作品を見せていただいたというしるしに、参加された方々にお渡ししているシール。 2013/09/27記
明日香村 甘樫の丘     2009年   水彩  280 X 380 o
朝日カルチャーセンターのYY絵ハガキスケッチ講座の5月の講座は、奈良明日香村の甘樫の丘からの眺めを描いた。ここは、東西北と三方の見晴らしがよく、晴れた日は大和の里、田園の風景がパノラマのように広がり、カメラ撮影やスケッチの愛好家の絶好のポイントとなっている。この日もカメラをもった多くの中高年の男女が撮影中。われわれもその中にまじってスケッチ。講評会は丘のふもとにある甘樫茶屋で。この日、受講されている方々の間をめぐりながら、自分でも描いてみたが未完成。掲載したのは以前の描いたもの。  2013/08/27記
仏隆寺の千年桜 奈良宇陀榛原     水彩ミニアチュール  2011年   165 X 240 o
関西経済連合会発行の「経済人」4月号の-スケッチ紀行歴史を歩く-は、伊勢本街道と伊勢表街道の分岐点の宿場町榛原を歩いた。空海の高弟堅恵が創建した山あいの仏隆寺の門前、参道石段脇にある名桜。樹齢900年といわれ、奈良県最古最大の桜とされる。スケッチに行った日は晴天でのどか、弁当を広げ花見をする人、花をカメラにおさめる人、花の下でねそべる人…思い思いに春を楽しんでいた。  2013/05/05記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」4月号表紙に掲載
                                                     
     
伊勢表街道の町並み 堀川のある裏路地 宇陀市榛原   水彩ミニアチュール  2012年  120x165 o
関西経済連合会発行の「経済人」4月号の-スケッチ紀行歴史を歩く-は、伊勢本街道と伊勢表街道の分岐点の宿場町榛原を歩いた。札の辻で別れた伊勢表街道は青山高原を経て伊勢に向かうので「あを越え道」と呼ばれた。街道の始まりの家並みには立派な商家が軒を連ねる。裏に回ると小さな堀川に面して蔵が残っていた。
伊勢参りには、自然に発生したおかげ年というのが60年おきにあって、爆発的な参拝ブームになったという。当時2千数百万人の人口に対し三百万人以上の人々が伊勢参りに参加したという。弁当やわらじを提供する大商人がいて、一種の無銭旅行だったという。幕末の「ええじゃないか」もおかげ参りと関係があるともいわれている。今年は伊勢神宮の式年遷宮の年。また、いま中高年に街道ウォークが流行っているという。  2013/05/02記            
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」4月号表紙に掲載                                                     
   
萩原宿札の辻 南都銀行旧榛原支店 宇陀市榛原            水彩ミニアチュール  2006年  120x165 o
関西経済連合会発行の「経済人」4月号の-スケッチ紀行歴史を歩く-は、伊勢本街道と伊勢表街道の分岐点の宿場町榛原を歩いた。札の辻にある南都銀行旧榛原支店の古い建物の前にに石の道標が残っている。左が表街道のあを越え。右に取ると伊勢本街道である。伊勢の豊受大御神は産業や農業の神で、御師と呼ばれる人たちが全国各地へ出かけ、農事に欠かせない伊勢暦を配り、豊作祈願をした。そして農民からは収穫された米を受け取った。伊勢にはそうした米が全国から集まり、神田で栽培され、品種改良される。伊勢講など旅の資金を周囲の人々から代表で受け取って参詣した人々は、お金を出してくれた人々のために、土産として、品種改良された米を地方に持ち帰る。こうして、農家は収量が増え、中世の日本の経済を発展させてきた一面もあるという。 2013/04/30記                               
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」4月号表紙に掲載                                         
旧伊勢本街道菅生家 宇陀市榛原              水彩ミニアチュール  2006年  120x165 o
関西経済連合会発行の「経済人」4月号の-スケッチ紀行歴史を歩く-は、伊勢本街道と伊勢表街道の分岐点の宿場町榛原を歩いた。伊勢本街道は大阪玉造稲荷から奈良を抜け、長谷寺の門前町初瀬(はせ)まで来ると初瀬街道とも呼ばれる。道はそのまま榛原に向かい、榛原町内の札の辻で、伊勢本街道と伊勢表街道に分岐する。スケッチは札の辻近くの伊勢本街道の家並み。お伊勢講で選ばれて伊勢神宮に向かう庶民が一生に1度あるかないかの旅を、不安をもちながらも楽しんだだろう、気分が想像される。 2013/04/26記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」4月号表紙に掲載

                                                          
奈良国立博物館              水彩ミニアチュール  2012年  192x267 o
昨秋2012年11月12日、 朝日カルチャーセンターYY絵はがき講座では、奈良公園にある近代の名建築、奈良国立博物館を描いた。迎賓館(旧赤坂離宮)や京都国立博物館など多くの宮殿建築を手がけた片山東熊の設計で1894年に竣工。国の重要文化財。当日は快晴で暑くも寒くもなく快適なスケッチ日和。ちょうど正倉院展の最終日で、新館の方はにぎやかだったが、旧館は人もそんなに多くなく、ゆっくり描いていただくことができた。  2013/04/24記
                                                          
御所まち 安産地蔵の祠     水彩スケッチ  2012年  
2012年10月の街旅絵日記講座は奈良県御所市へ行った。御所まちの古い町割の四隅の入口に地蔵尊が祀られている。四地蔵と呼ばれ、それぞれ長命地蔵、安産地蔵、大日地蔵、馬橋地蔵という。柳田川の橋のたもと、JR和歌山線の踏切脇にある安産地蔵。小さな祠は町の人たちの手によってきれいに掃除されていた。  2013/03/20記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」2013年3月号表紙に掲載
      
二上山当麻寺 東塔 奈良葛城   水彩   2012年   ミニアチュール 1650x240 o
朝日カルチャーセンターの「安田泰幸絵はがき講座」の10月は中将姫伝説で知られる当麻寺へスケッチに出かけた。当麻寺には奈良時代に建てられた東塔と平安時代に建てられた西塔、二つの塔がそろっている。千年を超える建築でともに国宝だが、無料で自由に、それも間近で拝観できる。月曜日であったので、参詣客もまばら。東塔を見上げる小さな参道で描くことに。不動の塔と生ある草木、秩序と無秩序、静と動、いろいろの面で対比を意識して描いてもらった。晴天の秋の午後、気持ちよかった。  2013/01/15記
                 

三室山の桜 奈良斑鳩    2012年 水彩スケッチ ポストカードサイズ120x165 mm
4月の街・旅・絵日記講座は、奈良斑鳩の里、三室山の桜を描く。お弁当を食べてスケッチにかかる。まずは綿菓子をかぶせたような三室山全山の桜の全景を描き、そのあとは桜の木のようすを中景で、そして絵日記なので桜の花をアップで描いてみてもらうことにした。受講のみなさんのスケッチを見せてもらいつつ、時間をみつけて山の中に入り、桜の林を描いた。見渡すかぎりの薄紅色の花は見事。花の間からさす光が下の草の緑に反射して美しい。 2012/7/4記                  

春瀾慢の三室山と竜田川    2011年 水彩スケッチ 165x240 mm
4月の街・旅・絵日記講座は、奈良斑鳩の里、三室山でお花見を兼ねて行った。今年は4月になっても気温10度そこそこの寒い日があったりして、近畿地方は桜の開花が遅く、出かけたものの花がなかったらどうしようなどと、毎日、新聞の開花情報を見てやきもきしていたが、当日はきれいに晴れ、太陽の光が明るくふりそそぐ、絶好の花見日和、スケッチ日和となった。この日の集合は午後1時だが、集まれる人は、12時に各自お弁当を持参して、竜田川の土手でお昼を食べることにした。飲める人のために缶ビールと、花より…という人のために団子をもって行った。外でのお弁当は格別、暖かい春の訪れに心なしかうきうきする。上のスケッチは昨年の同じ時期に描いたもの。 2012/7/2記                                          
                                                         

萩原宿札の辻 旅篭あぶらや 宇陀市榛原            水彩ミニアチュール  2006年  120x165 o
関西経済連合会発行の「経済人」4月号の-スケッチ紀行歴史を歩く-は、伊勢本街道と伊勢表街道の分岐点の宿場町榛原を歩いた。街道は旅篭あぶらやのある札の辻で2つに分かれる。伊勢神宮は商売繁盛の守り神でもあったので、当時の商家では伊勢参りをする妨げはしなかったそうで、そのため奉公人や子どもが主人や親に黙って伊勢参りにでかけることがよくあり、抜け参りと呼ばれたそうだ。いわゆるおかげ参りである。お参りは名目で、道中各地の見聞や全国から伊勢に集まった最新の情報、松阪木綿など当時のファッションの流行、精進落としと称した酒や遊興が目的であっただろう。厳しく規制された旅も、伊勢参りと言えばたやすく通行手形がもらえたようで、手形さえもらえば、どの道どの土地を通って行こうとゆるされたので、当時の情報や物流の発展にお伊勢参りが寄与したともいえそう。いつの世にも緊張と緩和、飴と鞭があったようだ。 2013/04/27記
■関西経済連合会発行広報誌「経済人」4月号表紙に掲載

                              
                                                          
三室山と竜田川・春瀾慢 奈良斑鳩   2011年  水彩  ポストカード  120 x 165 mm
関西経済連合会発行の「経済人」2012年4月号は奈良の斑鳩の里を描いたスケッチ。最後6枚目は山一面桜で埋まる三室山。昨年ここを訪れ、桜満開の三室山を何枚かスケッチした。高さ百メートル足らずの小さな山だが、薄桃色の花でおおわれた景観は感動もの。桜の木が植えられたのはそんなに古くはないが、竜田川が流れるこの地は紅葉の名所として、古くから知られ、百人一首にはここをうたった歌が2首ある。在原業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くくるとは」は特に有名。昨年描いてよかったので、今年4月の街・旅・絵日記講座はここを描いてもらった。今度は竜田揚げの語源にもなっている紅葉の頃に来なくては。  2012/4/28記
       
■関西経済連合会発行「経済人」2012年4月号表紙に掲載