琵琶湖疏水
蹴上発電所
京都


明治維新や東京奠都で衰退した京都を活性化するため琵琶湖の水を京都に通す計画が立てられ、工部大学校を卒業したばかりの田辺朔郎の設計により、1890年に琵琶湖疏水の第1疏水が完成しました。琵琶湖から送られてきた水を利用して、1891年日本で最初の水力発電が行われました。この電力を使って京都市内に日本で最初の電車が走りました。いわゆる京都のチンチン電車、のちの京都市電です。南禅寺の近くの煉瓦造りの発電所はいまも現役です。2010/10/22記




                   
著書「れんが・街ものがたり」所収、「経済人」2010年10月号表紙掲載。                        
                                           

「萩反射炉」 2009/9 120x165mm

ポストカード水彩スケッチ 「琵琶湖疏水 蹴上インクライン下のトンネル」 1998年 114 X 159 mm

安田泰幸アート&スケッチ

YASUDA YASUYUKI

雪の旧岩渕水門
荒川放水路


パナソニック電工2010年卓上カレンダーの12月には東京荒川放水路の旧岩渕水門のスケッチを掲載させていただきました。荒川放水路と岩渕水門は明治時代たび重なる東京の大水害を防ぐためにつくられたものです。全長22kmに及ぶ放水路と巨大な水門の工事を指揮したのは青山士という技師で、20年の歳月と300万人以上の労力を注ぎこんで、1924年に完成し、以後東京の町を水害から守っています。青山は設計や監督だけでなく、現場で工夫と一緒に汗を流し、工夫とその家族を守るため労災保険を採り入れ、工事中に毎年のように起こる洪水や、関東大震災の被害や、第1次世界大戦後の不況による資金難など、困難を乗り越え工事をやり遂げました。工事を記念する碑には、自分の名を刻まず、大きな犠牲と労役を払った仲間を顕彰したそうです。松下幸之助の「成功するまで続けて成功−いったん志を立てて始めたら、少々うまくいかないからといって、あきらめてはならない」という言葉に添えた絵です。2010/12/24
                       
パナソニック電工
2010年卓上カレンダー
「松下幸之助の言葉−志」
12月に掲載

 
  

水彩画スケッチ紀行

近代化遺産を描く

琵琶湖疏水記念館
のトンネル
京都蹴上


明治維新や東京奠都で衰退した京都を活性化するため琵琶湖の水を京都に通す計画が立てられ、工部大学校を卒業したばかりの田辺朔郎の設計により、1890年に琵琶湖疏水の第1疏水が完成しました。
かつてインクラインの南禅寺船溜りであったところに建てられた記念館の真横に疏水のトンネルの出口があります。トンネルを出た水は岡崎公園をかすめ、鴨川の東を南下し、伏見に向かいます。このトンネルの少し上流に疏水の分岐があり、一方は南禅寺水路閣をを通って哲学の道沿いに流れ、銀閣寺方面へと向かいます。どちらの流れも途中たくさんのスケッチポイントがある、京都の近代化遺産です。2010/10/29記
                        著書「れんが・街ものがたり」所収、「経済人」2010年10月号表紙掲載。
                        
                                           
琵琶湖疏水
九条山浄水場
ポンプ室
京都蹴上


明治維新や東京奠都で衰退した京都を活性化するため琵琶湖の水を京都に通す計画が立てられ、工部大学校を卒業したばかりの田辺朔郎の設計により、1890年に琵琶湖疏水の第1疏水が完成しました。
やがて第1疏水でまかないきれない電力需要に対応して、1912年に第2疏水が完成。このとき日本初の急速ろ過式浄水場として蹴上浄水場ができました。この第2疏水の建設にともない、御所に水を送るために、九条山浄水場ポンプ室が設けられました。設計は赤坂の迎賓館の設計でも知られる片山東熊や山本直三郎。いま、森のかげにひっそりとたたずんでいます。
                         著書「れんが・街ものがたり」所収、「経済人」2010年10月号表紙掲載。
                      
                                           
琵琶湖疏水
蹴上インクライン

琵琶湖疏水明治維新や東京奠都で衰退した京都を活性化するため琵琶湖の水を京都に通す計画が立てられ、工部大学校を卒業したばかりの田辺朔郎の設計により、1890年に琵琶湖疏水の第1疏水が完成しました。水道や工業用水のほか、疏水は大津−京都−伏見の舟運にも利用されました。蹴上にあるインクラインは大津−京都間の水運に利用するため、高度差のある蹴上と南禅寺船溜りの間582mを舟を乗せた台車の傾斜鉄道がつくられました。日本最初で当時世界最長のインクラインだったそうです。ことし8月カルチャーハウスのスケッチ教室のみなさんと一緒にこのあたりですけっちしましたが、暑かった。2010/10/7記          


著書「れんが・街ものがたり」所収、
「経済人」2010年10月号表紙掲載。
                        
                                           
福沢桃介記念館
長野県南木曽町


福沢桃介が読書発電所の建設など、木曽川水系の電源開発を進める際、現地での拠点として、1919年大正8年、別荘を建てました。ここで、アメリカや、パリで人気を博し日本の女優第1号となって、帰国後川上音二郎と死別した川上貞奴と一緒に暮らし、建設の現場を視察したり、政財界人や外国人技師を招いて宴を催したりしたといいます。貞奴とは慶応の学生時代に恋をし、長年離れていたあと結ばれたようで、赤いバイクに乗って現れる貞奴と一緒に現場を視察したり、二人の仲睦まじいようすは評判だったそうです。ちなみにこの二人の恋はNHKの大河ドラマにもなりました。現在、別荘は福沢桃介記念館として公開され、中には桃介と貞奴の写真なども展示されています。2010/8/12記



全国建設研修センター刊
「国づくりと研修」2009年夏号
裏表紙に掲載
桃介橋
木曽川河原から
長野県南木曽町


長野県南木曽町の妻籠宿から、ほど遠くない木曽川にかかる桃介橋という木造橋桁の吊り橋です。桃介というのは、福沢諭吉の養子で日本の電力王といわれた福沢桃介のことです。彼は株の売買で得た資金をもとに、木曽川水系のにつぎつぎにダムを築き発電所をつくって、日本の近代化に貢献したといわれています。橋は長さ247m。洗練されたデザインの3つの主塔で支えられ、まん中の主塔からは河原へおりる階段が設けられています。木曽の山々に囲まれた、橋を渡ると、風が心地よく、爽快です。2010/8/9記



                        
パナソニック電工2010年
  卓上カレンダーに掲載
松本酒造 酒造場 京都伏見            ポストカード水彩スケッチ  2011年 138x205mm
「経済人」2月号は京都伏見桃山です。4枚目は横大路三栖大黒町にある松本酒造の酒蔵です。松本酒造は創業1791年、江戸時代の中頃。この酒蔵は大正時代1922年に建てられたものだそうで、経済産業省の近代化産業遺産に登録されています。伏見は神戸の灘と並び称される清酒の大産地。灘の清酒が硬水の宮水で造られるのに対して、軟水の伏水で造られ、灘は辛口の男酒、伏見は甘口の女酒と言われたりします。伏見では「月桂冠」の大倉酒造や清水崑さんのカッパの漫画で知られる「黄桜」が有名ですが、以前伏見を歩いた時に掲載しましたので、今回は松本酒造の酒蔵を描いたものをとりあげました。新高瀬川の堤防からの眺めはカメラマンや絵を描く人たちに人気のスポットで、私も17年前に描いています。もう少し暖かくなって、菜の花が咲き乱れる4月頃になると、黄色い花と酒蔵を狙うアマチュアカメラマンで堤防にカメラの砲列ができます。2011/2/24記                                                           
■関西経済連合会発行「経済人」2011年2月号表紙に掲載
                                                                  
三栖閘門 京都伏見中書島         ポストカード水彩スケッチ 2011年 138x205mm 
「経済人」の2011年2月号は京都伏見桃山です。3枚目は中書島にある三栖閘門です。京都の木屋町を流れる高瀬川は南に下り、伏見で宇治川にぶつかります。江戸時代、京都の町からここまで高瀬川を高瀬舟が行き来して荷物や人を運んでいました。そしてここから大阪の八軒家浜まで三十石船が宇治川・淀川を上り下りしていました。荷物や人はここで船を乗り換えるため、伏見港がありました。中書島は船を乗り継ぐ旅人や商人で賑わった港町で花街もありました。明治になって運河が整備され舟運が盛んになり、昭和の初め伏見の町を流れる濠川と宇治川の、水位の違う二つの川をゲートで仕切り、水位を調節して舟を通しました。大阪・京都を結ぶ蒸気客船など盛時には年間二万隻もの船が通航したそうですが、1960年代には淀川の船運もなくなり、現在は伏見港公園として地元の人や観光客に親しまれています。2011/2/20記
■関西経済連合会発行「経済人」2011年2月号表紙に掲載
琵琶湖疏水
蹴上インクライン
下のトンネル


インクラインの線路の下のトンネルは南禅寺につながります。ここのトンネルの内側の壁と天井にあたる部分の煉瓦は、螺旋状にねじったようなめずらしい積み方です。2010/10/28記










                         著書「れんが・街ものがたり」所収、「経済人」2010年10月号表紙掲載。
                        
                                           
御坂サイフォン橋
三木市志染川


三木市の志染(しじみ)川に水を送る橋がかかっています。 1891年明治24年、この地域の淡河川・山田川の水利事業の一つとして、淡山疏水がつくられましたが、低い谷を越えなければならないため、高い土地から対岸の高い土地へサイフォンの原理を使って水を通しました。英国の陸軍技師のパーマーが設計したもので、貴重な近代化遺産です。蝉しぐれの中、横にかかっている小さな橋の上にすわって描きました。 
        




             
            「経済人」2010年9月号表紙掲載
                                           
読書発電所
長野県南木曽町


福沢桃介が木曽川水系の開発に乗り出し、のちに関西電力となる大同電力を設立して、1923年、完成させた読書発電所のスケッチです。よみかきはつでんしょと読みます。前掲の桃介橋はこの読書発電所建設のためにかけられた吊橋です。この発電所は現在も稼働していて、建物も国の重要文化財に指定されています。2010/08/11記


全国建設研修センター刊
「国づくりと研修」2009年夏号
裏表紙に掲載
桃介橋
長野県南木曽町


福沢桃介は、慶応義塾で福沢諭吉に見込まれ、婿養子となり、アメリカ留学後、病気療養中に株取引で得た資金で、実業界に進出し、20世紀の初め木曽川水系の開発に乗り出します。賤母(しずも)、大桑などいくつもの発電所を建設し、のちに関西電力となる大同電力を設立します。そして1923年、南木曽町に読書発電所が完成しますが、桃介橋はこの読書発電所建設のためにかけられた吊橋で、長さ247m、当時東洋一といわれていました。現在は国の重要文化財に指定されています。2010/8/10記


全国建設研修センター刊
 「国づくりと研修」2009年夏号
 表紙に掲載
富山 富岩運河
中島閘門 上流から


富山駅から出ているポートラムの越中中島駅の近くにある富岩運河の中島閘門を上流から見た景観です(川ではないので上流とは言わないでしょうが…)。閘門の扉の向こうが水を出し入れして水位を調節する閘室です。その向こうに閘門操作所の小さな建物が見えます。安価な陸上交通が発達してしまった現在は使われることも少なくなったことでしょう。
国の重要文化財


富山 富岩運河
中島閘門 


富山駅から出ているポートラムの越中中島駅の近くに、富岩運河の中島閘門があります。この水閘施設は、昭和の初め、立山をひかえた富山の豊富な電力を使用して、内陸部に工業地帯を形成することになり、水運を利用するために建設されたものだそうです。水位の低い海から来た船を。閘門の片方の扉を開いて入れ、いったん扉を閉じて水を注ぎ、内陸部の高い水位と同じになればもう片方の扉を開き、船は内陸部へ進むことができます。運河の延長は5.1km。200tの船が通航可能になり、富山市の発展に寄与しました。昭和の土木構造物として、全国で初めて国の重要文化財に指定されました。



                        
財団法人全国建設研修センター刊
「国づくりと研修」127号裏表紙に掲載
     
                   

酒田日和山公園
洋式酒田灯台


山形県酒田市に取材で初めて訪れたときのスケッチです。1895年に宮野浦というところに建てられた、高さ9mの木造の灯台です。当初は石油ランプを光源にしていたとかで、やがてアセチレンガス灯、大正の終りには電化されました。近代的な新灯台ができた1958年まで使われていたそうです。









「国づくりと研修」2002年夏号裏表紙

ニッケ印南工場
兵庫県加古川市


播磨リビング新聞の取材で工場の
中をスケッチさせてもらった。
印南工場は1896年に創立された。
羊毛を使って学生服などを
製造している。
この建物の妻は、五角形の顔に、
つぶらな二つの目とびっくりした
ような口・・・
おまけに3本の前髪を
垂らしたりして、かわいい表情。

萩 反射炉

幕末、艦船や洋式大砲など
兵器製造のために、
1858年萩藩が造った西洋式の
金属溶解炉の遺構で、
高さ約12m。国の史跡。

「国づくりと研修」2009年秋号掲載

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つづき-水彩画スケッチ紀行-近代化遺産を描く 2

京都伏見 松本酒造の蔵と菜の花          水彩スケッチ  2011 年 164x239mm
カルチャーハウス香里ヶ丘の土曜クラスの5月の講座は、酒どころの京都伏見の蔵元、松本酒造の蔵を描くことに。長大な蔵は近代化遺産になっており、いくつも並ぶ窓がリズム感をつくっている。さいわい名残りの菜の花が残っていて、受講している方々にはお目当ての景色を描いてもらうことができた。天気は快晴。5月だというのに、陽射しがきつく、気温も高くて、コンディションはよくなかった。 2011/6/24記
       
近鉄澱川橋梁 京都伏見      ポストカード水彩スケッチ  2011年 120x165mm
「経済人」2月号は京都伏見桃山です。最後の6枚目は宇治川にかかる近鉄電車の澱川橋梁です。近鉄奈良線の前身、旧奈良電気鉄道の開業に合わせかけられた1径間(川中に橋脚がない)の橋で1928年に完成しました。当時このあたりの宇治川(澱川:よどがわ)は陸軍の渡河訓練の架橋演習場になっており、橋脚をたてることが認められず、またちょうど昭和天皇の即位の式典が京都で行われることになっていて、奈良の橿原神宮と結ぶ鉄道として工事が急がれていたことなどにより、技術的にも難しく、費用のかかる長径間の橋を超短期間で造るという難工事だったようですが、設計した関場茂樹をはじめ、鋼鉄の調達・橋桁の製造・現場での組立工事など、当時としては画期的な創意と工夫で、成し遂げられたといわれています。完成後80年たったいま、列車が大型化長編成になったにもかかわらず、当初設計のまま、十分使用にたえています。長さ162m、高さ24m、単純トラス橋としては、今も日本最大で、国の登録文化財になっています。2011/3/3
■関西経済連合会発行「経済人」2011年2月号表紙に掲載
                                                                  

ポストカード水彩スケッチ 「」 2011年 120x165mm 

ポストカード水彩スケッチ  「雪の旧岩渕水門 荒川放水路 」 2009年  120 x 1655 mm

ポストカード水彩スケッチ 「琵琶湖疏水記念館のトンネル 京都蹴上」 1998年 100 X 148 mm

ポストカード水彩スケッチ 「琵琶湖疏水 九条山浄水場ポンプ室」 1998年 120 X 165 mm

水彩スケッチ 「琵琶湖疏水 蹴上発電所」 1998年 135 X 182 
mm

水彩スケッチ 「琵琶湖疏水 蹴上発電所」 1998年 135 x 182 mm

ポストカード水彩スケッチ 「琵琶湖疏水 蹴上インクライン」 1998年 111X154mm

ポストカード水彩スケッチ 「三木 御坂サイフォン橋」 2010年 (120x165mm)

ポストカード水彩スケッチ 「福沢桃介記念館 長野県南木曽町」 2005年 (126x166mm)

水彩スケッチ 「読書発電所 長野県南木曽町」 2009年 (157x203mm)

水彩スケッチ 「桃介橋 長野県南木曽町」 2009年 (157x203mm)

水彩スケッチ 「桃介橋 木曽川河原から 長野県南木曽町」 2009年 (157x203mm)

ポストカード水彩スケッチ 「富山 富岩運河 中島閘門 上流から」 2010年 (120x165mm)

ポストカード水彩スケッチ 「富山 富岩運河 中島閘門」 2010年 (120x165mm)

ポストカード水彩スケッチ 「坂田日和山公園 洋式坂田灯台」 2002年 128x174 mm  

水彩スケッチ  「ニッケ印南工場ボイラー室煉瓦棟 兵庫県加古川市」 2008年 157 x 227 mm