YASUDA YASUYUKI

水彩画スケッチ紀行

安田泰幸アート&スケッチ

近代化遺産を描く-2

三栖閘門 京都伏見中書島    2014年  水彩  280x380mm  
朝日カルチャーセンターYY街旅スケッチ講座は京都伏見中書島にある三栖閘門。湿度の高い、暑い日だった。閘門のかたわらのポンプ室だったところが資料館になっていて、しばし見学・勉強してからスケッチ。江戸時代、京都の町の中、高瀬川から十石舟で運ばれた人や物資は、ここ中書島で三十石舟に乗りこみ、淀川を下る。宵にここを発てば、朝大坂天満の八軒屋浜に着く。落語の「三十石夢の通い路」の世界だ。明治時代、富国強兵策のひとつとして、水運発展のため、伏見の濠川と淀川に続く宇治川の水面の高低差を解消するためつくられた産業遺産を描いた。 2014/12/30記 
C612 京都・梅小路蒸気機関車館          水彩ケッチ  1998年  ポストカードサイズ 120x165mm 
9月のはじめに梅小路蒸気機関車館を訪れた前回ここへ来たのは1998年の9月であった。このときもカレンダーの絵柄に使うスケッチの取材であった。そのとき描いた機関車がC61.。戦後33両が製造された大型旅客用機関車で、特急列車などを牽引していた。動く状態で保存されており。この日もカマに火が入っていた。 2011/9/26記  
■松下電工卓上カレンダー
■「経済人」2001年12月号 に掲載
       

                                          
 

大輪田橋 神戸兵庫新川運河         水彩    2014年   120x165o  
関西経済連合会発行の広報誌「経済人」9月号の表紙「スケッチ紀行‐歴史を歩く」は、神戸の兵庫津のスケッチ。
兵庫運河は和田岬の難所を回避して須磨方面に至る水路としてつくられた、日本最大の運河である。水運が物流の主役だった時代が終わると戦後の建築ラッシュで貯木場として使われ、いまはそれも終わって、親水公園に。奈良時代から日本随一の良港として知られていた大輪田泊の名を唯一残す大輪田橋。大正時代につくられた、美しいデザインの橋。カタツムリのオブジェがついた親柱1本が残っている。残り3本は震災で崩れた。そのうちの1本が橋のたもとに今も横たえてある。 2015/03/08記
■関西経済連合会発行「経済人」2014年9月号表紙に掲載

琵琶湖疏水第1疏水制水門 大津     水彩スケッチミニアチュール   2013年    120 X 165 o 
関西経済連合会発行の「経済人」2013年6月号表紙「スケッチ紀行―歴史を歩く」は滋賀県の浜大津の町を歩いたスケッチで構成した。三井寺の境内に接して、緑に覆われた谷にトンネルの入口がある。京都へ琵琶湖の水を送るために、明治時代、工部大学校を出たばかりの田辺朔郎の設計でつくられた琵琶湖疏水の水路トンネルの入口である。水路に沿って、琵琶湖に向かって数百mすすむと、第1疏水の大津制水門があった。完成後百年たった今も、豊かな水を送り続けている。重機のなかった時代にこの壮大な土木事業を成し遂げ、京都を近代の都市として、再興させた若者の心を想いながら描く。  2013/07/16記
■関西経済連合会発行「経済人」2013年6月号表紙に掲載 
 
梅小路蒸気機関車館 旧二条駅舎 京都          水彩 2011年  ポストカードサイズ  120 x165o
財団法人全国建設研修センター発行の「国づくりと研修」129号の表紙は、京都の梅小路蒸気機関車館。裏表紙には解説文と3点のスケッチ。3点目は資料展示に使われている旧二条駅舎。1904年に京都鉄道の本社兼駅舎として建てられ、京都鉄道が国有化後は、山陰線二条駅として親しまれてきた、現存する日本最古の木造駅舎である。建物の入口が蒸気機関車館の入口になっており、小さな男の子連れの家族が楽しそうに入っていった。 2012/1/30記  
財団法人全国建設研修センター発行 「国づくりと研修」129号 裏表紙に掲載           
梅小路蒸気機関車館 扇形車庫のC1164,9633,B2010,C622 京都 
水彩 2011年  ポストカードサイズ  165x240o

財団法人全国建設研修センター発行の「国づくりと研修」129号の表紙は、京都の梅小路蒸気機関車館。裏表紙には解説文と3点のスケッチ。その一つが、扇形車庫で展示されている機関車。C11形と9600形、B2010、そしてリフレクタにツバメのマークが入った、C62形2号機。館には現在17形式19両が保存されていて、そのうち7両が、動く状態での保存。その中には「SLやまぐち号」や「SL北びわこ号」など、実際の営業運転で、いまも本線を走る機関車もある。 2012/1/27記
財団法人全国建設研修センター発行 「国づくりと研修」129号 裏表紙に掲載           
梅小路蒸気機関車館 京都          水彩  165x240o
財団法人全国建設研修センター発行の「国づくりと研修」129号の表紙は、京都の梅小路蒸気機関車館。旧国鉄梅小路機関区に、1972年、鉄道開業100周年を記念して設けられた。新幹線開通後、高度成長時代の交通体系の変化で、急激に姿を消していった蒸気機関車を保存する目的でつくられた。1914年に建てられた扇形車庫は、クレーンなど修繕・整備用の設備もそろい、国の重要文化財に指定されている。スケッチに出かけたのは9月。広場で社会見学の小学生たちが弁当を広げたり、家族連れが展示車両の運転台にのぼったり、鉄道マニアが熱心に写真を撮っていたりと、思い思いに蒸気機関車とふれあっていた。 2012/1/26記    
財団法人全国建設研修センター発行 「国づくりと研修」129号 表紙に掲載           
街・旅・絵日記講座9月大阪今橋レトロ 綿業会館          水彩スケッチ  2011年 120x165mm
9月の「大人の遠足 街・旅・絵日記講座」は、大阪今橋界隈を歩き、レトロな建築物を描いた。みんなで芝川ビルを描いたあとは、自由行動として、それぞれに街の中で見つけたものを絵日記に描き添えることにした。講評会の場所に行く途中にある綿業会館を描く人も。綿業会館は1930年渡辺節の設計で竣工した、日本綿業倶楽部の施設で、建築費の大半は東洋紡の専務であった岡常夫の遺族からの寄付であった。国の重要文化財および経済産業省の近代化産業遺産に指定されている建物は、外観がルネサンス風。内部はジャコビアン様式の談話室など、倶楽部にふさわしく、豪華で格調の高い装飾で知られている。 2011/11/22記
東京隅田川 勝鬨橋          水彩スケッチ  2005年  158x204mm
東京隅田川の橋のスケッチ、最後の4枚目は勝鬨橋。この橋は、これまでここに掲げた3つの橋とは違い、震災復興ではなく、交通の便を図るため築地と月島を結ぶ道路橋として建設された。1940年完成。路面電車のレールが敷かれていて、1968年まで都電が走っていた。完成当時はまだ陸上輸送より海上輸送のほうが重要視されていたらしく、大きな船が航行できるよう中央部が跳ね上がる構造になっていて、1日5回ほど、車や電車を止めてはね上げていたという。スケッチしていたら、派手な塗装の屋形船型の遊覧船がくぐりぬけてきた。このスケッチの後、2007年に国の重要文化財に指定された。  2011/9/9記                
■全国建設研修センター発行「国づくりと研修」2005年秋号表紙に掲載
           

東京隅田川 厩橋          水彩スケッチ  2005年  136x189mm
震災復興事業として架けられた東京隅田川の9橋のうち、3橋はスケッチした。3枚目のスケッチは厩橋。3連のアーチがリズミカルな曲線を描く優美なデザインだが、写真とちがって、描くにはけっこう難しい。この橋の上下流には、駒形橋、蔵前橋、両国橋・・・と江戸の下町と隅田川の情緒を醸す名がついた橋が並ぶ。橋のたもとに石のベンチがしつらえてあるのもめずらしい。  2011/9/8   
■全国建設研修センター「国づくりと研修」2005年秋号裏表紙に掲載      

室戸岬灯台 高知          ポストカード水彩スケッチ 2009年 120x165mm
二年前徳島から高知へ海岸沿いを旅した時のスケッチの3枚目は、高知県室戸岬の灯台。1889年に造られた鉄製の灯台で、海上保安庁指定のAランク保存灯台。灯室にあるレンズは直径2.6m。日本一の160万カンデラの光は、26海里48kmまでとどく。早朝四国霊場第24番札所最御崎寺の境内を抜けてここへ来た。スケッチしたあとお寺へ戻る。早くもお遍路さんたちが般若心経を唱えておられる。そういえば、前の日はどしゃ降りの大雨の中、室戸岬へ向かう国道沿いの道を菅笠と白衣の若い女性が雨に打たれながら歩いておられたが・・・。  2011/7/25記 
    
                      
               
旧堺燈台  大阪・堺市大浜           水彩スケッチ  2010年 165x239mm
日立造船2011年カレンダーの7-8月のページには、日立造船の工場がある大阪府堺市に残る旧堺燈台をスケッチした。堺は戦国時代、南蛮貿易の拠点として栄え、外国から来た宣教師によって東洋のベニスと西洋に紹介されるほどの国際貿易港であった。戦乱から町を守るため堀をめぐらし、会合衆と呼ばれた有力商人によって町の運営が行われた自治都市でもあった。この燈台は、明治時代堺港の改修を機に、町の有力者が資金を出し合い、イギリス人技師や堺の大工、石工の力で、1877年に完成した。当初は石油ランプを使用し、18kmさきまで光が届いたという。臨海工業地帯の埋め立てで、1968年役目を終えた。現地に現存する日本最古の洋式木造灯台の一つ。子どもの頃、このあたりで夏に大漁夜市が行われ、市電に乗って海水浴にも来た、かすかな記憶がある。 2011/7/10記      
■日立造船2011年カレンダーに掲載 
                     

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9600形 京都・梅小路蒸気機関車館          水彩ケッチ  2011年  ポストカードサイズ 120x165mm
9月のはじめ、ウィークデーに梅小路蒸気機関車館を訪れた。旧国鉄の梅小路機関区の扇形車庫は重要文化財に指定され、貴重な転車台があり、資料展示館は明治時代に建てられた現存する日本最古の木造駅舎である旧二条駅舎が使われている。それらを描きに行ったのだが、動態・静態の蒸気機関車も17形式19両が保存されていて、今回はC55と「キューロク」9600形を描いた。9600形は大正時代に770両製造された当時を代表する貨物列車用蒸気機関車で、日本で最初に量産された機関車だそうである。デフレクタのない素朴な姿で、子どもの頃から好きな機関車だった。 2011/9/23記       
                                          
 

街・旅・絵日記講座-高野山 南海電鉄こうや3号          
水彩スケッチ  2011年  ポストカードサイズ 120x162mm 150x210mm

街・旅・絵日記講座の7月は世界遺産高野山。難波駅9時発、南海電車の特急「こうや3号」で。難波から山上行きケーブルカーがでる極楽橋まで1時間半ほど。座席指定で、ちょうど8名だったので2列、イスを前後向い合わせにして。橋本を過ぎると山を登りだす。かなりの登り、小さなカーブの連続。車窓は立ちはだかる山に点在する民家など、景色がどんどん変化する。極楽橋から、山上まではケーブルで5分。この高野線の山岳区間には、めずらしいトレッスル式の鉄橋や山中の駅、ケーブルカーの施設などがあり、近年、近代化産業遺産として認定された。そのうちの一つ紀ノ川橋梁が先の台風12号で壊れたと、ニュースで聞いた。  2011/9/17記

東京隅田川 清洲橋          水彩スケッチ  2005年  ポストカードサイズ125x158mm
東京の隅田川にはたくさんの橋がかかっている。昨日掲載した永代橋の上流すぐ隣にある橋で、震災復興事業の際、永代橋と対になるような形にデザインされたという。ドイツケルンの美しさで有名だったつり橋を範としたといわれる。この橋も永代橋とともに国の重要文化財に指定されている。これらすべて形の違う9橋の原案をつくった技術者田中豊は、復興局でこれらの橋を完成させたのち、全国各地の大きな橋の工事にかかわり、関一市長のときに大阪市の顧問となり、水の都大阪の数々の橋の建設にかかわっている。  2011/9/7記
■全国建設研修センター発行「国づくりと研修」2005年秋号裏表紙に掲載
■パナソニック電工2011年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-情熱」に掲載

東京隅田川 永代橋            水彩スケッチ  2005年  ポストカードサイズ125x1580mm
東京の隅田川にはたくさんの橋がかかっている。江戸時代から浮世絵になったり、芝居や小説の舞台として親しまれてきた。そのうち都心に近い下流の橋の多くは、関東大震災の復興事業で架けられた。この事業を手がけたのは、復興省の若い技術者たちであった。新しく架けられた9橋はすべてデザインが異なる。そしてそれまで外国に頼っていた橋の設計や材料調達、施工などを自分たちの力で行ったそうだ。また、当時流行していたアールデコなど新しい意匠もたくさん採り入れられている。短い期間に、多くの技術的な課題を克服しながら、くふうを重ね、新しいデザインをも取り入れる。現在の情況と重ねて見ると、考えさせられることが多い。 永代橋は2007年道路橋として初めて国の重要文化財に指定された。 2011/9/6記
■全国建設研修センター発行「国づくりと研修」2005年秋号裏表紙に掲載
■パナソニック電工2011年卓上カレンダー「松下幸之助の言葉-情熱」に掲載